PROFILE

国枝 慎吾
SHINGO KUNIEDA

1984年2月21日生まれ。東京都出身。2007年に史上初となる車いすテニスの年間グランドスラムを達成。2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピック連覇、新旧グランドスラムのシングルス部門では合計28回(2020年12月時点)の優勝、シングルス107連勝記録など、数々の偉業を達成し続けるプロ車いすテニスプレイヤーの第一人者。

国枝 慎吾 SHINGO KUNIEDA 国枝 慎吾 SHINGO KUNIEDA

1984年2月21日生まれ。東京都出身。2007年に史上初となる車いすテニスの年間グランドスラムを達成。2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピック連覇、新旧グランドスラムのシングルス部門では合計28回(2020年12月時点)の優勝、シングルス107連勝記録など、数々の偉業を達成し続けるプロ車いすテニスプレイヤーの第一人者。

A STORY OF SHINGO KUNIEDA
~変革か、死か、どちらかだ~

2009年、私たちはユニクロ初となるグローバルブランドアンバサダーを迎えました。それが国枝慎吾選手です。2007年、アジア人初の世界チャンピオンになり、車いすテニス史上初のグランドスラムも達成、さらに2008年の北京パラリンピックでシングルス金メダルを手にした後、国枝選手は、車いすテニス選手として日本人初となるプロ転向の道を模索しているときでした。その頃から彼の強さは圧倒的で、当時あのロジャー・フェデラー選手が日本人記者に投げかけられた「なぜ日本のテニス界からあなたのような世界的な選手が出てこないと思うか?」という問いかけに「何を言っているんだ?日本には“シンゴ”がいるじゃないか!」と答えたのは有名な話です。「変革か、死か、どちらかだ」―。9歳で発病した脊髄腫瘍を克服し障害者となった国枝選手にとって、この言葉は決して過剰な表現ではありません。まさにあらゆる面で「変革」することが人生のテーマとなったのです。そしてそれこそが国枝選手の最大の強さです。現在まで車いすのグランドスラム世界最多優勝を誇る国枝選手ですが、2016年に肘の故障が発覚以降、長い不調に陥りました。このときも彼は復活のために、コーチの一新、足そのものでもある車いすの変更、フォーム改良などテニス人生で最大の“チェンジ”を断行しました。そして2018年には全豪、全仏を制し、見事カムバックを果たしたのです。そんな不屈の精神で「変革」を続け進化する国枝選手の人生に向かう姿勢は、私たちユニクロの「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」という考え方とも通底しているのです。

2009年、私たちはユニクロ初となるグローバルブランドアンバサダーを迎えました。それが国枝慎吾選手です。2007年、アジア人初の世界チャンピオンになり、車いすテニス史上初のグランドスラムも達成、さらに2008年の北京パラリンピックでシングルス金メダルを手にした後、国枝選手は、車いすテニス選手として日本人初となるプロ転向の道を模索しているときでした。

その頃から彼の強さは圧倒的で、当時あのロジャー・フェデラー選手が日本人記者に投げかけられた「なぜ日本のテニス界からあなたのような世界的な選手が出てこないと思うか?」という問いかけに「何を言っているんだ?日本には“シンゴ”がいるじゃないか!」と答えたのは有名な話です。「変革か、死か、どちらかだ」―。9歳で発病した脊髄腫瘍を克服し障害者となった国枝選手にとって、この言葉は決して過剰な表現ではありません。まさにあらゆる面で「変革」することが人生のテーマとなったのです。そしてそれこそが国枝選手の最大の強さです。現在まで車いすのグランドスラム世界最多優勝を誇る国枝選手ですが、2016年に肘の故障が発覚以降、長い不調に陥りました。このときも彼は復活のために、コーチの一新、足そのものでもある車いすの変更、フォーム改良などテニス人生で最大の“チェンジ”を断行しました。そして2018年には全豪、全仏を制し、見事カムバックを果たしたのです。そんな不屈の精神で「変革」を続け進化する国枝選手の人生に向かう姿勢は、私たちユニクロの「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」という考え方とも通底しているのです。

A STORY OF SHINGO KUNIEDA ~変革か、死か、どちらかだ~
  • ROGER FEDERER ロジャー・フェデラー
  • KEI NISHIKORI 錦織 圭
  • SHINGO KUNIEDA 国枝 慎吾
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