Peter Saville
2020.03.05

グラフィックデザインの巨匠ピーター・サヴィルさんとのダイアローグ

Peter Saville

ポップカルチャーの一部になりたいと願っていたティーンエイジャーが、イギリスを代表するグラフィックデザイナーとなったのは偶然ではない。いかにしてピーター・サヴィルがピーター・サヴィルとなったのか。

ピーターサヴィルリミックス

多感な10代に経験した’60年代の世の中。

グラフィックデザインの巨匠であり、イギリスのカルチャーの一部でもあるピーター・サヴィル。とりわけ、ポストパンクを代表する伝説的バンド、ジョイ・ディヴィジョンの『Unknown Pleasures』のレコードジャケットのデザインは世界的に著名な作品として認識され、肝心の音楽を聴いたことがない人々でさえ「ああ、見たことあるかも」と思わせるものである。
当時「毎日の暮らしは実に平凡で退屈なもので、外の世界のあり方に対して不満を持っていた」というマンチェスターボーイがいかにしてカルチャーと密接となったのかは興味深い。

「大人になってずいぶん経つけど、ティーンエイジャーだった頃に物事の“見た目”に興味を持ち始めたことが一番重要で関連性があるかな。僕が10代前半だった頃は1960年代で、周りはまだまだ古臭くてモノクロで、第二次世界大戦のような空気感で、本当に面白い時代だったよ。テレビではジェームズ・ボンドの映画が流れ、ビートルズやジミ・ヘンドリックスもいて、ジェットセッターと呼ばれる人たちもいた。こういったことはある意味、僕の人生の外側で起こっていることだった。’60年代には中産階級の若者であってもそういうことを知るようになっていて、僕は『007ゴールドフィンガー』を映画館で1週間に3回も観たよ。そういった新しい世界や新しい名前、ポップカルチャーに興味いっぱいの若者だった」
いわばポップカルチャーの申し子のように、その世界の一部になりたいと思っていて、それが人生におけるモチベーションになっていた。ジェットセッターに会いたかったし、経験したことがない生活を見てみたかった。それはフィクションやファンタジーみたいなものだったが、“そこ”にたどり着きたかった。

「当時のティーンエイジャーはまず音楽がその入り口だったんだ。15、16歳の頃は映画の仕事をしたり、ファッション界に入るのも無理だからね。映画館に行くとかレコードを買うことはできるけど。だから音楽は、その世界の一部になれて現実に関わり合うことができる第一歩のようなもので、それはまずレコードを買うことから始まった。そして実際にコンサートに行くようになると本当に誰かと会うことになる。まあ、ジェームス・ボンドをステージで見たことはないけどね。僕が初めて行ったコンサートは14歳の頃だったかな。1969年にデヴィッド・ボウイを観に行ったんだけど、彼は元祖ロックのスーパーグループ、「ブラインド・フェイス」のサポートアクトだった。その数年後の1972年にもう一度行ったら、彼は僕らのような人間にとって、とてつもなく重要な存在になろうとしていた。1972年の僕が17歳の頃、イギリスの文化圏ではスターマンという曲がテレビで有名になり、全国放送で流れていた。僕と同じ年頃の何万人が、デヴィッド・ボウイが生み出した“誰か”を目にしたんだ。彼はそれを生み出して、多くの若者が“彼にできるなら自分にもできるはずだ”と思ったよ」
デヴィッド・ボウイにより、アイデンティティのエンパワメントを初めて学んだ。ビートルズやボブ・ディラン、ローリング・ストーンズも、政治的生命について理解するために異なる考え方をするよう人々に力を与えたが、アイデンティティや自己の創造について示してくれたのはデヴィッド・ボウイが初めてだった。
「デヴィッド・ボウイは2年もたたずにまた別のイメージを作った。これはまるで上級者向けのレッスンだったよ。ポップカルチャーは急速に変化するものだし、自分自身が製品なら急速に変化する必要がある。もし自分自身が製品として創造するなら、カルチャーの中で生き残るために新しい製品をデザインして、都市の変化の中にいる必要があるかもしれない。10代の頃に学んだこととはこういったことかな」

Peter Saville
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時代はファクトリー・レコードへ。

「ファクトリー・レコードというのは概念的、創造的に太陽系のようなものだったんだ。トニー・ウィルソンがその中心にいて人々を惹きつけ、誰もがその軌道にのっかれる組織だった。ただ、やること、やりたいことをやっただけで、企業構造、給与、事務所、仕事、契約、前払いはなかったよ。現に10年間はファクトリー・レコードは存在しなかったしね。Palatine Road 86番地、僕らのアパートだっただけさ」
1978年12月にファクトリー・レコードは設立される。レコードを出そうという話になり、トニーと友人のアラン・エラスムスが借りたスペースで数ヶ月間、ミュージック・クラブ・ナイトを企画することとなる。それはTHE FACTORYと呼ばれ、彼らはそこで演奏するバンドをまとめていた。
「僕はたくさんのポスターを作ったよ。ちょうど美術学校を卒業する6か月前。それが僕の仕事だった。アランはときどき俳優をしていて、トニーはテレビの司会者だった。彼は地域のテレビネットワークで働いていて収入があったので、ファクトリー・レコードをビジネスにする必要はなかった。いわば使命のようなものだね。そして、初めて出したレコードの裏にようやくFactory Recordsと書かれたわけさ」

1977年頃になると、先進的なレコードショップにインディーズのレコードがたくさん見られるようになる。当然ながら限定版で、なぜなら、お金がないので製作者はわずか千枚程度しか作れなかったから。ただ、その時に初めて、若い消費者にコレクターになるという考え方がもたらされた。
「最初のレコードであるTHE FACTORYのサンプルにかかった制作予算はわずか5000ポンド。レコーディングは4時間ほどで、とても速く、未熟で、超低予算だった。5000枚プレスしたけど、全て売り切れたのには正直驚いたよ。当時は英国中に、サポートの精神があったんだ。自分の足でレコード店に行き、自分の目で何か違うものを発見する。1ポンド50ペンスのレコードで、他の誰かの希望と真実をみることができた。その時期になるとポップカルチャーからは、真実は消えてしまっていた。だからパンクが起こった。若者文化はエンターテインメント業界の一部となり、ポップカルチャーの化身はリッチになりすぎ、腐敗し、あまりにもひとりよがりで、もはや若者とは関係なくなってしまった。ポップの確立により、クーデターが起きた。革命があり、それがパンクだったんだ」

Peter Saville

Joy Divisionとの出会い。

ファクトリー・レコードの名と住所をジャケットの裏に載せていたので、何百人もの若者がそれをレコード会社だと思い、デモテープを送ってきた。そのうちのひとつが、マンチェスター出身のバンド、ジョイ・ディヴィジョンであり、ポストパンク、ニューウェーブ時代の最も重要なアルバム『Unknown Pleasures』が発表されることとなる。「メンバーのバーナード・サムナーが、天文学の本がジャケットによいだろうと僕に渡してきた。それは1978年版のケンブリッジ天文学百科事典だった。最初に発見されたパルサーから放出されるエネルギーパルスの図だよ。まだアルバムのジャケットを作ったことはなかったけどね。色で何かをする方法を知らなかったので、モノクロに決め、表面にくるであろうこの画像用にレイアウトを作成し、ラベルに載せた。サイズはあまり変更したくなかった。バンドメンバーは白を希望し、僕は黒がいいと思った。そのため黒い宇宙に囲まれているようなものになった。とにかく、レコードジャケットのように見せたくなく、特別なものにしたかった。消費者として、レコードを購入するためにタイトルやグループの名前が目立つ必要はないと考えていたからね。もしそのレコードを見つけられなかったら店で尋ねればいい。コレクター、買い物客としての自分自身が欲しかったものを作ったんだ」

レコードは若者が最初に買えるアートである。ピーターにとってもレコードはアートコレクションの一つだったので、その気持ちはダイレクトに届いた。
「正直、『Unknown Pleasures』は聴かずにデザインを作ったんだ。でも初めてテスト版を聴いたときの衝撃は忘れずに覚えているよ。4曲目の“Disorder”は今でもお気に入りの一曲だし、サウンドはいまだにモダン。ニューウェイブのベストアルバムのジャケットを手掛けることができて少し嬉しくなったね。それが僕のデザイナーとしての始まりだった」

ピーターにとってのカルチャーとは。

「当時、素晴らしいものもたくさんあったけど、バスやバスのチケットといえばつまらないものだった。マンチェスターでは毎日の暮らしは平凡なもので、美術大学に3、4年通っていたから、そういった退屈な状況は改善できるはずだと思っていた。そして、そんな気持ちを表現する機会に恵まれた。そのときはバスではなくポスターのデザインを依頼されたわけさ。そこで他のものより知性を感じさせるポスターを作ることにして、少しでも世の中をよくしていければいいと思ったんだ。サッカー選手、ミュージシャン、建築家、法律家、様々な人々が何世紀にもわたりよりよいものを生み出そうとしてきて、その積み重ねが僕たちのカルチャーを作っている。各個人が細やかな気遣いをし、一生の仕事を持ち、物事はよくなり得るという信念があることから生まれた産物がカルチャーだと思うよ」

© Peter Saville and Joy Division
© Peter Saville and New Order