マグナム・フォト
2025.02.07

猫を見つめる写真、写真を見つめる言葉

マグナム・フォト

自身も写真家として活動するアーティスト、ココ・キャピタンにより選ばれた「猫写真」たち。ただの猫写真ではなく、世界を代表する写真家たちの集団マグナム・フォトに属するフォトグラファーたちの撮った猫だ。世界のさまざまな場所で印象的なシーンを切り取ってきた写真家たちが猫にカメラを向けるときは、どんな瞬間だろう。そしてそこにキャピタンによる手書きの言葉が加わったとき、Tシャツの上でどんな物語が展開するのだろう。それぞれの写真家に、選ばれた写真にまつわるエピソードや、写真、そして世界との向き合い方を聞いた。

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クリスティーナ・デ・ミデル

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写真に写っている猫との関係性を教えてください。どこで出会った猫ですか? なぜこの写真を撮ろうと思ったのですか?

この写真に写っている猫は、3匹飼っている猫の1匹です。名前はソーパ。スペイン語でスープという意味で、とっても可愛くて好奇心旺盛。私はブラジルのサルバドールにある古い家に住んでいるのですが、家のいろいろな場所に本来そこにあるべきでないものを置いて、猫たちがどう反応するかを見てみるんです。この写真は、大きな風船をテラスに取り付けて撮ったシリーズからの1枚。猫たちはもちろん、この空に浮かぶ赤くて大きなものに興味津々で、2日ほどのあいだにたくさん写真を撮りました。

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クリスティーナさんの作品によく登場する赤い風船は、何を象徴しているのでしょうか。そして他の作品たちとどのように関係しているのでしょうか?

赤い風船は、視覚的な注目を集めるために用いています。私たちは、写真は現実の記録であり、三次元的だと思っていますが、抽象的な形はそのイメージを崩してくれるのです。この見慣れないはっきりとした形が何をしているのかを考えながら、人々はより長い時間画像を見つめることになります。普通は、世界を写し取ったイメージにこのような純粋な形は存在しないので。

ココ・キャピタンの手書きの言葉と自身の写真作品が出会うことについて、どう感じていますか? この組み合わせにより、自分の写真の見方も変わりますか?

ココ・キャピタンの作品はもともと大好きで、純朴でありながら賢明な彼女の言葉は、猫にも通ずるところがあると思っています。テキストとイメージが合わさったときに生まれる力はいつも興味深く、もちろんイメージの読み取り方を変えるものです。今回はココのテキストが合わさったことで、写真の解釈が広がり、より詩的なものになったと思います。とても気に入っています!

写真は記録するための道具だと思いますか、それとも想像するための表現手段だと思いますか?

どちらでもあります。というのも、私の作品は自身の投影や夢をも含む世界を記録するという、ハイブリッドなアプローチで制作しているからです。そして象徴的なものや、私たち自身や現実のイメージを拡張してくれるようなものの力を借りて、現実を超えるような状況を記録することもあります。私にとって、現実と想像とは対立するものではなく、互いが影響しあい、戯れ合うものなのです。

様々なイメージが世に溢れている現在、それでも続く写真の力とは何でしょうか?

写真は未来の言語として確立してきており、そのせいで世界がイメージで飽和しているように感じるのだと思いますが、言葉だってもともと溢れていて、それが問題になったことはありません。私たちはただ、数世紀前に読み書きを学んだのと同じように、社会全体でこの新しい言語を学ぶべきなのです。私にとってそれは脅威ではなく、機会だと思います。

クリスティーナさんの作品は、報道写真のような雰囲気とフィクションの物語のような表現の間を行き来しているように感じます。二つのアプローチの間で、どのようにバランスを取って制作しているのですか?

現実とフィクション(もしくは想像)を混在させるのは、私にとって自然なことです。なぜなら、写真を使って世界を描写する場合、そこにはすでに存在するものしか写らないので、説明しようとしているものについての解決策や深い考察を含めることはできないからです。私が関心を抱くトピックはジャーナリズムに属するものですが、それに視覚的にアプローチする方法としては、説明的であるよりも分析的であろうとしていて、状況を分析するためには、より抽象的で概念的でないといけないのです。例えば新聞のなかにも、ニュース記事のほかに社説などのオピニオン記事がありますね。私の作品は意見の投書と同じです。それのビジュアル版ということです。

PROFILE

スペイン出身。メキシコとブラジルを拠点に活動する。写真というメディアがもつ虚構と真実の境界を追求する写真家で、被写体をあらゆる視点で理解するために、フィクションと真実を巧みに交錯させた、概念的でありながらドキュメンタリー性も垣間見える作品が特徴。2017年よりマグナム会員。2022年にマグナム・フォト会長に就任。

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アレック・ソス

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写真に写っている猫との関係性を教えてください。どこで出会った猫ですか? なぜこの写真を撮ろうと思ったのですか?

フロリダのディズニー・ワールドの近くには、かつてホテルだった建物が仮設アパートに姿を変えて建ち並んでいます。ファンタジーの上に築かれた場所の近くに存在する質素な部屋たちに、私はほろ苦さを感じました。窓辺にいたこの猫も、外の世界を夢見ているようでした。

ココ・キャピタンの手書きの言葉と自身の写真作品が出会うことについて、どう感じていますか? この組み合わせにより、自分の写真の見方も変わりますか?

とても気に入っています。3匹の猫と2匹の犬の飼い主として、動物の意識のあり方についてよく考えます。猫は時間や空間について考えるのだろうか? 猫は夢を見るのか?

写真は記録するための道具だと思いますか、それとも想像するための表現手段だと思いますか?

写真はさまざまな使い方ができます。私はというと、写真を想像の海に飛び込むための飛び板として用いるのが好きです。

様々なイメージが世に溢れている現在、それでも続く写真の力とは何でしょうか?

写真は言語です。言葉と同じように、何気ない会話から真面目な著述にまで使うことができます。写真が柔軟であるのは良いことですが、私としては著作者を認知することが一番重要であると考えています。

被写体と撮影者であるアレックさんの間には、ある種のつながりや親密さが見て取れます。被写体とはどのようにして関係性を作るのですか? そしてそれは最終的に、どのように写真に現れるのですか?

親密さを強要しないようにしています。自分自身や自分の動機に素直になれば、本当の意味でのつながりができることもあります。このつながりが写真に現れるかは、測ることができるものではありませんが、私が求めているものです。

写真が壁に展示されているときは、観客は一定の距離を持って鑑賞することになりますが、Tシャツにプリントされた写真は、着る人の表現の一部になります。このように、写真の経験の仕方が変わることについてどう思いますか? また写真を着るという行為が生み出す親密さについてどう感じますか?

音楽と同じように、写真は世界のなかで様々に存在しています。パソコンのなかに、本に、壁に。いつもこの多様性を大事にしてきました。写真が他の誰かの身体の上にも存在できて、その人らしさの表現になれるなら、素晴らしいことだと思います。

PROFILE

ミネソタ州ミネアポリス出身。「オン・ザ・ロード」系アメリカ現代写真を継承し、早くからコンテンポラリーアート界で注目を浴びる。作品はサンフランシスコ近代美術館、ヒューストン美術館などに所蔵されている。2008年出版社「Little Brown Mushroom」を設立。優れた写真集を数多く出版している。2004年よりマグナム会員。

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サビハ・チメン

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写真に写っている猫との関係性を教えてください。どこで出会った猫ですか? なぜこの写真を撮ろうと思ったのですか?

私はイスタンブールに生まれ、今も生活しています。イスタンブールは野良猫で知られる街です。自分の住んでいる通りだけでも、30匹くらいの猫が生活しています。毎日野良猫や野良犬に出会います。この黒猫は、絵が描かれた学校の壁に日が当たったところに座っていて、とてもいいなと思いました。冬の日差しの中で暖を取っていたんですね。猫が細い影をまたぐのを待って撮影しました。

ココ・キャピタンの手書きの言葉と自身の写真作品が出会うことについて、どう感じていますか? この組み合わせにより、自分の写真の見方も変わりますか?

ココの手書きの文字は、写真をよりユーモラスかつポエティックにしてくれたと思います。猫と同じように、可笑しくて物憂げな感じ。そしてTシャツになったことで、クリエイティブな方法で人々の手に届きやすくなりました。ココの特徴的な筆跡は、猫と楽しいゲームをしているような気分にさせてくれます。なぜだか猫たちが宙にぶら下がって、私が捕まえるのを待っているような光景を思い浮かべるのです。

写真は記録するための道具だと思いますか、それとも想像するための表現手段だと思いますか?

写真は、私が感情を表現に変換するために用いる第一の方法ですが、想像を形にする方法は他にもたくさんあると思います。想像を表現するメディアとして、書くことや彫刻することなどにも関心があります。

サビハさんの写真作品、とくに「ハーフィズ:コーランの守護者たち」シリーズの写真は、夢を見ているかのような素晴らしいイメージの数々で、まるで映画のシーンのようです。写真を撮るときに、どの程度シーンを演出したり、事前に設定したりするのですか?

私は27年前、双子の姉妹と一緒にコーラン学校で学びました。同じ経験をしているので、学生たちはすぐに私を信頼してくれて、まずは仲良しの友達になりました。彼女たちは、時間が経つにつれ慣れてきて、(最初はクレイジーガールだと思われていたけれど)私が何を撮りたいか理解してくれました。彼女たちが抱き合うときや、自撮りをしているときに間違ってスイカを落として割ってしまったとき、私がいいと思った瞬間にその場で立ち止まってもらい、写真に収めました。そのうちに、暗黙のコラボレーションが生まれるようになりました。全ては、コーラン学校での日常生活や、週末の自由時間での楽しみなど、彼女たちのリアルな生活に基づいています。

あなた自身は、撮影する光景の外にいる人(オブザーバー)ですか、それとも中にいる人(インサイダー)ですか?

「ハーフィズ」は超自伝的プロジェクトであり、私はインサイダーであると同時にオブザーバーでもありました。私の子供時代を振り返ることにもなっていますし、つまるところ、私の被写体はすべて、自分の分身であるように感じるのです。

PROFILE

サビハ・チメン|トルコ・イスタンブール出身。独学で写真を学ぶ。長期にわたり、イスラム文化に根ざしたポートレートや静物写真を撮影する企画に注力している。2020年よりマグナム会員。イスタンブールとニューヨークを拠点に活動。

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ジャン・ゴーミー

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写真に写っている猫との関係性を教えてください。どこで出会った猫ですか? なぜこの写真を撮ろうと思ったのですか?

パトゥは長い間、私たち家族の一員として暮らしています。堂々とした猫の代表みたいな猫です。パトゥの母猫は、子猫たちが人間に早く慣れて仲良く暮らせるように育ててくれました。兄弟たちは皆賑やかな部屋の真ん中で育ち、パトゥは周りで起こっている出来事にいつも興味津々でした。私の家に来た時から、彼と私たち家族の間にはお互いをリスペクトする強い絆がありました。それは私の孫たちにとっても互いを思いやり、学び合う、大事な教育の機会でもありました。パトゥを撮るとき、私たちは対等な立場にいると感じます。なんの許可も権限もいらないのですから。おそらく、注目されるのは嫌いじゃないと思います。「即興的に?それともリラックスした感じで?なんでも任せて」みたいな感じで。昔からそういうことはパトゥの得意技なんですよ。私が撮影に行くために準備をしていると、よき相棒であるパトゥは、いつも私の機材を注意深くチェックして、アドバイスをくれます。何が起こるかわからないでしょ。彼は素晴らしい写真家になったと思います。我慢強く、思慮深いし、好機が訪れたときすぐに反応することにとても長けている。どんな好機かは言わないでおきます。友人同士の秘密だから。とっても仲良しのね。

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PROFILE

ジャン・ゴーミー|雄弁に語りかけ、感情に訴える作品で知られる写真家兼シネマトグラファー。長年にわたりさまざまな企画を手掛け、鮮やかでインパクトの強い作品を世に送り出す。世界中で作品展が開催され、映像、写真ともに多くの賞賛を浴びる。1977年よりマグナム会員。現在はフランス・ノルマンディー地方フェカン在住。写真に写っているのは、彼の飼い猫、パトゥ。

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© Coco Capitán 2025
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