100とは

特別編

特別編

「着るもののきほん」(小学館)
書籍化記念
「LifeWear Story 100」を語る 松浦弥太郎 × 石野亜童

LifeWear Story 100「着るもののきほん」(小学館)の今春刊行に向けて、 本編を執筆したエッセイストの松浦弥太郎と、商品説明を担当した編集者の石野亜童。 ふたりがLifeWear Story 100 の取り組みの中で何を考え、何を感じたのか、 その思いやエピソードをじっくりと語りぬいた、ユニクロ LifeWear の本質に迫る対談。
松浦弥太郎
1965年東京生まれ。エッセイスト、クリエイティブディレクター。アメリカ書店文化に触れ、エムアンドカンパニーブックセラーズをスタート。2003年にセレクトブック書店「COWBOOKS」を中目黒にオープン。2005年から『暮しの手帖』の編集長を9年間務め、その後、ウェブメディア「くらしのきほん」を立ち上げる。(株)おいしい健康・共同CEO。「今日もていねいに」「考え方のコツ」「100の基本」他、著書多数。
石野亜童(いしの・あどう)
1978年鹿児島県生まれ。編集者、クリエイティブディレクター。数々の雑誌編集に携ったのちブランディングカンパニーに入社。その後雑誌『THE DAY』の創刊編集長に就任。同誌を退いたのち、自身のクリエイティブカンパニー「E inc.」を設立。ブランディング、メディア製作、商品企画、空間演出など幅広いクリエイティブの分野で活動中。2019年11月22日にオープンした「京都ゆにくろ」にて配布された「京都ライフジャーナル」を企画・編集。
特別編
特別編

vol.1
LifeWear Story 100の
はじまり

松浦
僕は『暮しの手帖』を辞めたタイミングで、自分なりに「暮らし」というものを、「きほん」というアプローチで再定義しようと取り組んでいた頃だったんです。で、2015年の10月、ユニクロの方との出会いがあり、ユニクロのヴィジョン、そしてユニクロがどうやって服作りをして、どうやって世界にアプローチしようとしていることが、いわゆるこれまでのファッションビジネスではないということを「服で世界を変える」という言葉とともに、銀座四丁目の「わかまつ」という甘味処で、あんみつを食べながら話を聞いたのがはじまり。そのときに僕は初めて「LifeWear」という言葉を聞いたんです。
2015年頃、おそらくユニクロでは、その言葉はすでにあったと思うけれど、一消費者にとってその言葉は、当時まだ耳には入って来ていなかった。ユニクロにとってのLifeWearというひとつの思想というか、それはビジネスというよりも活動に近いものであると聞いた時、僕は強い衝撃を受けたんです。
だからといって、すぐに何かを始めるというイメージできるものはお互いに無かったんです。ただ、定期的にお会いして「暮らし」や「服」を語りあっていました。それと同時に、なぜか後輩編集者の亜童さんとも会っていましたね。
亜童
その頃お互いに印刷物のメディアを作りながら、webの世界にも飛び込んだタイミングだったんですよね。弥太郎さんも僕も、紙からwebに移行したのが同じ時期で。
松浦
そうでした。僕は「くらしのきほん」というメディアを立ち上げて、亜童さんは「BEACON KYOTO」という京都の地域を発信するメディアを立ち上げていて、お互いに紙の世界からwebの世界に移ったことでの、いろんな意味での複雑な心境でしたね。分からないことが多い分、いろんなことができる分、お互いに、日々、戸惑いと発見があって、チャレンジして失敗したりを繰り返していて、新しい「web」というものを使ったメディアでの試みを語り合っていました。
亜童
僕の場合は「BEACON KYOTO」がちょうどローンチ前で、やれること、やれないこと試行錯誤しながら、「みんなもうやっちゃってるじゃん」とか思ってしまって、悩んでいる時期でしたね。弥太郎さんに聞いたと思いますが、「もうやれることなくないですか?」と。
松浦
「web」の仕事で考えると、僕はなんとなく新しい完成形が見えていたので、まあ時間はかかると思いましたが、あんまり不安は無かったんです。今思い出したけれど、亜童さんは結構迷ったり悩んだりしていて困っていましたね。それはそれで、僕らみたいなエディターが、今となっては乗り越えなきゃいけない壁だと思っていました。そういうテーマで定期的に一時間くらい会ってよく話していましたね。月一とか二ヶ月に一度くらいで。僕は僕でユニクロの方と定期的に会っていて、「何が大切なんだろう」というような仕事の根源的なことをよく話していた気がするし、何か新しいコミュニケーションをデザインしたいという気持ちがあった。そういうやりとりを一年くらい続けて、一旦、僕の中で一区切りしたんです。でも、亜童さんとは変わらず定期的に会っていましたね。
亜童
そうでした。その頃はもう、編集という意味では、デジタルとアナログというようにメディアを分けて考える意識が古いことのようにお互い感じるようになっていましたね。
松浦
うん。そうして月日が経ったある日、改めてユニクロの方から連絡をいただいて、LifeWearという概念というか、メッセージをもっとたくさんのお客様に、いろんな方法で伝えていきたいと。トレンドを踏まえて新しく開発された商品は、コマーシャルに乗っていくけれど、昔から作り続けている、毎年アップデートされてクオリティが上がっている定番の服、たとえばシャツやチノパン、アンダーウェアとかTシャツとか。そういった商品はスポットライトが当たることはないけど、実はユニクロの思想だとか、まさにLifeWearの本質を語るもの。それをLifeWearというメッセージと繋げて発信したい。そんな話を情熱的に語ってくれたんです。
物事ってこんなに時間がかかるんだなぁと、それは必要な時間っていうか、今の時代なんでも「早く早く」っていう感じで、もちろん早く動かさなきゃいけないこともあるのですが、100%そうじゃなくて、大事なことっていうのは時間をかけるべきだと思いました。完成形が見えてないってことは議論されていないということですからね。そのために必要な時間がかかっていたんだなという感じがして、そういった時に、僕の中でイメージしていたアイデアが浮かび上がってきました。商品に言葉を乗せていくっていうことは、今までたくさんやられているからひとつも新しくなくて、そうではなく商品(服)にストーリーを乗せていくっていうことを、最初のアイデアとして提案させてもらったんです。
変わらずに亜童さんとも会っていたし、亜童さんは服をよく知ってるし、一緒にやれたらいいんだろうなぁって。
亜童
弥太郎さんはもう何となくメディアのカタチは見えていた感じでしたよね。
松浦
はい。だけど最終目的はストーリーでは足りなくて、もうひとつの要素で、商品のクオリティを伝えるってことをしたかったんです。いわゆるカタログ的なスペックじゃなくて、もっと作っている側、それをデザイン、担当、制作している人が「これをお客様に伝えたい、私しか知らないこと」という、非常にインサイドなスペックを書きたかった。
僕は商品に物語を乗せていき、商品のリアルなクオリティは亜童さんにサポートしてもらえたらと思っていたんです。
亜童
「パッションとファンクションで行こう」って話をしていましたよね。弥太郎さんが「パッション」、僕が「ファンクション」で行こうって。
松浦
そんなこと言いましたっけ。笑。まあ、そんな感じで、ユニクロのプロジェクトメンバーとも、たくさん議論をして、何回も止まったり進んだりを繰り返していたけど、ゴーサインが出てからは早かった。新しいプロジェクトなのに、集まってくれたユニクロのメンバーが多かったのも嬉しかった。その一人ひとりが僕ら以上に熱くて。
亜童
ユニクロではこういったメディアは今までなかったですもんね。毎週更新のプロジェクトですから。
松浦
そう、無かった。不安な部分もたくさんあったと思う。けれども面白いって思ってくれたところは、結局「服とは何か」っていう深堀りをしていくコンテンツであること。まさに「ユニクロのきほん」という、普段、お客様になかなか届かない非常に地味なメッセージの発信。服というよりも、日常着という生活ツールの底力というか、生活をよりよく変えていく服のクオリティとは何かを、世の中に伝えていくこと。決して服が主役になってはいけない、という考えも、なんて新しいんだろうと思いました。
亜童
チノパンとか、上海の開発担当の方をテレビ電話で取材して「これのここはどうですか?」と詳しく聞いたり。ソックスにしてもそうだったけれど、毎回いろんな担当の方とお話をして、皆さんその商品に対しての思いの丈を熱く語ってくれたのが嬉しかった。「ここを知ってもらいたい!こういう思いで作っている!」っていう感じでね。ニットの回とか凄かったですよね。糸の原料から撚り方のお話まで。
松浦
そうやって取材していく中で、ユニクロがいかに良い服を届けたいっていう強い気持ちがあるのかっていうところにとても共感できた。僕らの中でもユニクロの商品に対しての愛情がどんどん芽生えていきましたね。回を重ねるたびに、好きがもっと好きになっていくというように。
亜童
メディアを作っている自分たち自身が、まずは感動して、どんどんとLifeWearに共感していくのが面白かったんです。
つづく

マイLifeWear

vol.1
特別編

ファインクロスブロードシャツとエクストラファインコットンブロードストライプシャツ(ボタンダウン)。どちらも毎日のユニフォームのように着ているお気に入りのシャツです。理由は肌触りと動きやすさでしょうか。襟、袖、前見立てのクオリティの高い仕上げに<ユニクロ>の哲学さえ感じます。洗いざらしでも、アイロンをかけても、どちらも上質な風合いが魅力。まさに究極の日常着じゃないかな。僕にとってのLifeWearの象徴。(松浦弥太郎)

101
特別編

お気に入りはスウェットプルパーカ。とにかくフードの立ち方が素晴らしい。ぺろっと後ろに倒れてしまうものが多い中、首回りのボリュームの在り方、フードの立ち姿が自分パーカ史上最高峰です。着方によってサイズを分けています。左は数年前に買ったスウェットパーカでサイズはXL。フード裏の生地だけが化繊入りに変更されていて乾きやすい工夫がされていることに本当に衝撃を受けました。ネイビーの発色も大好物で重ね着用に。右はUniqlo U のスウェットパーカのサイズXXL。かなりのヘビーオンスなのでベストと合わせて主役として着ています。(石野亜童)

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LifeWear Story 100とは。

ユニクロには、
流行に左右されず、
けれども、決して古びることのない、
長い間、作り続けている普通の服がある。
品揃えの中では、
とても地味で目立たない存在である。
コマーシャルにもあまり出てこない。

それらは、ユニクロが、
もっと快適に、もっと丈夫に、
もっと上質であることを、
長年、愛情を込めて追求したものだ。

それらは、ユニクロの人格と姿勢が、
目に見えるかたちになったものであり、
丹精に育てているものだ。

昨日よりも今日を、今日よりも明日と。

手にとり、着てみると、
あたかも友だちのように、
その服は、私たちに、
こう問いかけてくる。

豊かで、上質な暮らしとは、
どんな暮らしなのか?
どんなふうに今日を過ごすのか?
あなたにとってのしあわせとは何か?と。

そんな服が、今までこの世界に、
あっただろうかと驚く自分がいる。

ユニクロのプリンシプル(きほん)とは何か?
ユニクロは、なぜ服を、
LifeWearと呼んでいるのだろう?
LifeWearとは、どんな服なのだろう?

ここでは、LifeWearの、
根っこを見る、知る、伝える。
そして、LifeWearと、自分にまつわる、
ストーリーを書いていきたい。

LifeWear Story 100は、
LifeWearと僕の、旅の物語になるだろう。

松浦弥太郎

松浦弥太郎
松浦弥太郎

エッセイスト、編集者。1965年東京生まれ。
2005年から15年3月まで、約9年間、創業者大橋鎭子のもとで『暮しの手帖』の編集長を務め、その後、ウェブメディア「くらしのきほん」を立ち上げる。現在は(株)おいしい健康の取締役に就任。数々のメディアで、高い審美眼による豊かで上質な暮らし提案に努めている。新聞、雑誌の連載の他、著書多数。ベストセラーに「今日もていねいに」「しごとのきほん くらしのきほん100」他多数。NHKラジオ第一「かれんスタイル」のパーソナリティとしても活躍。

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