子どもたちが自分たちの手でつくりだす未来へ

子どもたちが
自分たちの手で
つくりだす未来へ

[対談]
ロジャー・フェデラー×柳井 正

January 2023 No.24

The Power of Clothing

子どもたちへの支援が私たちの未来をひらいてゆく。

財団を創設し教育支援を実践してきたテニス界のレジェンド、ロジャー・フェデラーと未来を担う次世代である子どものサポートを、多方面で実行してきた柳井正がそれぞれの個人的な経験を回想しながら、子ども支援の重要性を語りあう。
対談は、お互いの少年時代の写真を見せあうことから始まった。

Photographs by Takashi Hirukawa

ロジャー・フェデラー 柳井 正

柳井 正(以下柳井)小さい頃からもうカッコイイじゃないですか。さすがですね。

ロジャー・フェデラー(以下RF) 1980年代半ばの写真ですね。ラケットは木製、テニスボールも黄色ではなく白でした。こんな小さい頃からテニスコートで練習を始められたのは、両親のサポートのおかげです。柳井さんは子どもの頃から、服に囲まれて暮らしていたんですね。真面目そうな少年に見えます。

柳井 父は紳士服店を営んでいたんです。これは店のバックヤードですね。まだ小学校の低学年で、非常に内気でね。父はとても厳しかった。子どもを叱り飛ばしてばかりいる父親を、日本では「カミナリ親父」と言ったものなんですが、その典型でした。家と店が一緒でしたから、朝から晩まで、何やっても、何やらなくても、叱られてばかりだった。ロジャーさんは小さい頃から才能を発揮されていたから、叱られなかったんじゃないですか。

RF 父が感情的になって怒鳴ることはなかったですね。私のテニスのサポートのために週末の家族の時間まで割いて、いろいろ我慢してくれていたはずです。一度ですが、こんなことがありました。ジュニアの試合に負けた帰り道、父の運転で雪の山道を走りながら、私は負けたことに癇癪を起こして、泣いたり喚いたりしていたんです。父は雪の積もった道に静かに車を停めて、「降りなさい」と私に言いました。「ちょっと見せたいものがあるんだ」と。何があるんだろうと目を凝らしていたら、顔を雪に押しつけられた(笑)。癇癪を起こすのはもうやめなさい、頭を冷やしなさい、と言われました。父の態度が穏やかだったので、ハッとしました。柳井さんの場合、家と店が一緒だったとすると、そばにはつねに「カミナリ親父」がいたわけですね。

柳井 そうなんです。逃げ場がない(笑)。でも、店はおもしろかった。店で働いている大人は住み込みで、やって来るお客さんも大人、父の友だちも訪ねてくる。日常的に大人に囲まれている環境でした。自分は子どもなんだけれど、あまり子どもであることを意識させられないで育ったと思います。内気なわりに、物怖じしない気質が育まれたのは、そのせいかもしれません。

RF そのような一軒の紳士服店が、世界に展開するブランドに成長していったんですね。

何やっても、
何やらなくても、
叱られてばかりだった。

何やっても、何やらなくても、叱られてばかりだった。

山口県宇部市の紳士服店「メンズショップ小郡商事」を経営していた父・柳井等(右)と少年時代の柳井正。

癇癪を起こすのは
もうやめなさい、
と言われました。

癇癪を起こすのはもうやめなさい、と言われました。

父は勤め先の医薬・化学メーカー「チバガイギー」で、母と出会う。1984年、初めてラケットを握ったロジャー。

柳井 十代の終わりに、海外を旅したのが大きかったですね。大学に入ったのは1960年代の終わり。入学した年には夏季休暇を利用して、東南アジア各国への訪問や交流を行いながら、移動中の船内でゼミナール形式で学ぶ「早稲田船上大学」に参加しました。香港、シンガポール、クアラルンプール、バンコクなどを巡る旅です。ところが二年になると大学紛争が激化して、大学が閉鎖されてしまったんですね。当時、私はヒッピーなどアメリカの若者文化につよい関心があったので、この空白の機会を利用して、アメリカをスタート地点に世界一周をしようと計画したわけです。「旅費を出してほしい」と父に頼んだら、全額を負担してくれることになりました。このことは、今でもほんとうに感謝しています。
横浜からアメリカンプレジデントラインズの「ウィルソン号」に乗船して、最初に上陸したのがサンフランシスコ。ここから話し始めたら日が暮れてしまうので省略しますが(笑)、100日間で世界を一周する旅は、世界は今こうなっているのか、と実感する経験でした。非常に貧しい国の現状も自分の目で見ることにもなった。この100日間が、のちに世界で展開する仕事へとつながったのは間違いありません。

RF 旅が子どもたちの人格形成に寄与するというのは、自分の経験からもはっきり言えることですね。私の娘たちもツアー中に生まれていますし、世界中を一緒に回ってきました。子どもたちの様子を見ていても、旅から得るものは大きいと感じます。
私がまだ子どもの頃、夏になると一カ月から二カ月くらい、母の故国の南アフリカに家族と滞在する習慣がありました。楽しい経験でしたが、同時に、アフリカでどのように困難な状況が起きているのか、貧困に苦しむ人の姿も感じながら、過ごしていたのを覚えています。

柳井 子どもの感受性は鋭いですからね。

ロジャー・フェデラー

プロテニスの現役を引退した、ユニクログローバルブランドアンバサダーのロジャー・フェデラー選手のこれまでの偉業を称え、次世代へとつなぐイベント「UNIQLO LifeWear Day Tokyo 2022 with Roger Federer」が、東京・有明コロシアムに多くの観客を迎え、開催された(2022年11月19日)。子どもたちとのテニスコート上でのセッションも実現することになった。

家族と離れて暮らした少年時代

柳井 そういえばロジャーさんは、少年時代に家族と離れて、言葉の通じない地域で暮らしていたそうですね。

RF そうなんです。14歳で故郷を離れたのは、自分で決めたことでした。もっとテニスの腕をあげたかったのです。同じスイス国内でしたが、生まれ育ったのはドイツ語圏のバーゼル、移り住んだのはフランス語圏のエキュブランでした。ホームステイでの暮らしが始まって、学校に行くと、話すのも読むのも書くのもすべてフランス語。一日中まったく何もわからず、ひと言も口がきけませんでした。最初の九カ月くらい、親はいない、友だちもいない、言葉が通じないで、ひとりで泣いてばかりでした。しかし、親身になってくれたホストファミリーのもとで2年間暮らした経験は、16歳でプロに転向する私の背中を、確実に押してくれました。

柳井 ロジャーさんを見ていて、これはかなわないなと思うのは、どんな困難があっても、いつも表情が明るくて、前向きでしょう。エキュブランで2年間鍛えられたのが、なによりも力になったのではないですか?

RF そうかもしれません。先行きがまったく見えないなかでのスタートでしたが、良いコーチにめぐり会えましたし、ホストファミリーも優しかったですし、実家に住んでいたときと違って癇癪を起こすわけにいきませんでしたから、自立したいい子にならなければいけなかった(笑)。あらゆる面で学ぶところは大きかったですね。

柳井 スポーツ、とりわけテニスは、試合となれば個人の力ですね。そこがわれわれのビジネスとちがうところかもしれません。ビジネスはいわば団体競技。お客さまに服を届ける考え方や態度がバラバラというわけにはいかないんです。スポーツには相手があり、勝敗があり、記録があります。誰の目にもはっきりと結果が見えてしまう。

RF そうですね。必ずチャレンジがあって、ゴールがあります。負けた場合でも、なぜ負けてしまったのかを学ぶ必要があります。相手が強かったのか、自分に落ち度がなかったか、謙虚にならないといけません。

柳井 ビジネスは成功だけしようとしても駄目なんです。失敗するほうが常ですから。失敗の経験がたくさんあればあるほど、失敗した原因を探って学ぶことができる。想像力も育つ。

RF ビジネスでは時間が経ってから負けがわかることがあるかもしれませんね。スポーツは必ずその場で勝敗が決まります。プロスポーツ選手はそこで自信を奪われ、メンタル面で苦労することが多いのです。負ける感覚は誰でも嫌なものです。負け続けたりすれば、さらにダメージが大きくなる。そういうときこそ、勝ったときの感覚を思いだして、もっとこうすれば今の状況から抜けだせる、とモチベーションを上げてゆく必要があります。

柳井 なるほど。たしかに勝敗の明確な基準がビジネスにあるかといえば、そうとは限りませんね。長期的な視点に立って、しばらく負けを我慢する場合もあります。僕にとっては失敗のレベルでも、世の中の誰かにとっては成功、という判断だってあるかもしれませんしね。

影響がより深く、
広く及ぶような
活動を手がけたい。

影響がより深く、広く及ぶような活動を手がけたい。
失敗した原因を探って学ぶことができる。想像力も育つ。

失敗した原因を探って
学ぶことができる。
想像力も育つ。

教育は自分で自分を助ける最大の力

柳井 ウィンブルドンで初優勝された2003年に、ロジャー・フェデラー財団を設立されましたね。22歳の若さで財団を設立されて、なかでも子どもの初期教育に軸をおかれた。慧眼でいらっしゃったのだなと思いました。

RF プロ選手になってから、慈善活動の機会がたびたび与えられてきました。ツアーで世界を回っていると、困難な状況におかれた子どもがいることを知る場面も少なくありません。そのようななかで、たとえ時間がかかるとしても、影響がより深く、広く及ぶような活動を手がけたいと思うようになりました。

RF 支援の対象は子どもの初期教育を中心に行いたいと考えたのです。南アフリカを行き来していたときに見聞きした経験もありましたし、アフリカでは国や地域によって、子どもたちが誰でも等しく教育にアクセスできているわけではない、という現実があることも知っていました。教育は自分で自分を助ける最大の力になります。子どものひとりひとりに力がつけば、やがて子どもの属する共同体の力になっていく可能性もあります。子ども時代に受けた支援を、なんらかのかたちで社会に還元したいと考える可能性があるからです。教育の影響力は個人の成長にとどまらない広がりと将来性があります。

柳井 とりわけ経済的に恵まれていない環境で育っていると、十分な教育を受ける機会が失われてしまう場合が多いですからね。食べものや着るものにも困るような環境にいると、生きるのに精一杯で、子どもを学校で勉強させるより、働いて家計を助ける労働力にしてしまう。この負のスパイラルに入ってしまうと、いつまでも教育を受ける機会がやってこない。

RF 新型コロナのパンデミックで学校に通えなくなったため、給食を食べることができなくなった子どもたちも増えました。地域によっては、学校の給食が子どもにとって一日でもっとも栄養豊富であたたかい食事だという場合が少なくありません。新型コロナの危機が、子どもの食生活や教育の危機にまで直結してしまったのです。今年(2022年)の1月には、ザンビアを襲った大雨による洪水被害で、子どもたちが学校に行くことができない状況となってしまいました。学校に通えなくなる原因にもさまざまなものがあります。

柳井 難民の子どもたちがおかれている状況も深刻です。自分たちの家も、通っていた学校も失うわけですから。たったいま全世界で1億人以上もの難民がいると報告されています。私たちが難民支援事業を始めて20年以上になりますが、当時の難民の数は現在の3分の1近くだったと記憶しています。その数ですら驚いていたのですが、今はそれどころではないほど事態が悪化してしまった。

RF 昨日まで普通に暮らしていた家から、身の回りのものを持ち出すこともできず離れなければならないというのは、子どもたちには到底理解できない事態ですね。

柳井 生きていくのに精一杯で、子どもらしく遊ぶことなどできない状況ですからね。

メンターの重要性。最終判断は自分自身

柳井 ロジャーさんはプロテニスの頂点にいながら、財団の支援活動も行っておられたわけで、並行してそのような活動を始めたのはなぜですか。

RF 22歳だった私のまわりには、よりよい助言を与えてくれる年長者、メンターの存在がありました。両親、妻、コーチも、私がやるべきことは何か、つねに一緒に考えてくれていました。家族のような身近な存在、メンターこそが、私の成長の鍵でした。テニスに集中するだけでなく、広い世の中には見たり、聞いたりすべきものがあると知る、大事な話し相手だったのです。テーマは必ずしも大きなものとは限りません。音楽を聴きに行くとか、美術館に足を運ぶとか、新しい人に会う、といったことも、世界を知るきっかけになります。旅の多い人生を送ってきたことも幸運なことでした。異国の地を旅して、自分の視野が広がったのは確かです。

柳井 そういったことを受け入れることのできるような、懐の深さ、心の余裕がなければ難しいことですね。

RF プロのテニスプレーヤーでいられる期間は短いんです。その期間を最大限に活かさねばなりません。つまり、短い期間なのだからテニスにだけ集中する、他のことは考えない、となりがちです。私にもし強みがあるとしたら、バランス感覚だと思います。ハングリーな状態でテニスに集中するときと、自分をオープンにリラックスさせた状態で、新しいものごとを受け入れるときと、このふたつを切り替えられるのです。柳井さんもスイッチを切り替えていらっしゃるのではないですか?

柳井 僕は朝6時に家を出て、6時20分には会社に着いて、それからずっと仕事です。でも午後3時には会社を出て、家に帰ります。そこでスイッチオフ。日本のビジネスマンは夜まで仕事をしたり、会食をしたりするらしいですけど、普通の人間にはそんなエネルギーも集中力もありませんよ。

RF テニスは体の状態をどう保つかが大事です。つまりやりすぎは禁物。休まなくてはいけません。オフィスでの仕事は体を激しく動かしているわけではないので、エンドレスになりがちなのでしょうね。それでもオンとオフをはっきりさせないと、活動に必要なエネルギーが戻ってきませんし、アイデアも枯渇します。悪循環です。オフィスにいるリーダーに本質的なメンターの能力があれば、「いまは休むほうが大事だよ」と適切に助言してくれるはずではないでしょうか。

柳井 日本の大企業の上司は、先頭に立って長時間労働しているのかもしれませんね。仕事の成果があがっているかといえば、時間を潰しているとしか思えないのに。

RF 私の場合はフィットネスのコーチやテニスのコーチなど、何人かのメンターがいますが、一方的に聞いてばかりというわけでもないのです。素直に「なるほどな」と思うときもあれば、ほんとうにそうだろうかと考えて、コーチと議論する場合もあります。別のコーチにセカンドオピニオンを聞くこともあります。つまりメンターの助言を丸呑みにするのではなく、最終的に決めるのは自分なのだという心構えも大切です。

小さなところに窓が開く

柳井 普通に暮らしている人にとってメンターはどこにいるんだという話になるかもしれませんけど、ほんとうに求める気持ちがあれば、必ず出会えると思います。この人に話を聞いてみたい、と思うような人がいたら、連絡して会いにいけばいい。僕はそう思いますね。

RF 「コーチに何を学ぶんですか?」と聞かれることがあります。正直な話、コーチの助言全体の1パーセントくらいの部分だけあれば、十分なんです。その1パーセントをきっかけにして、チャンスが生まれてきます。抱えきれないほどのヒントを、すべて受け取る必要はありません。小さなところに窓が開いて、そこから新しい空気が入ってくる─それくらいでいいんです。

柳井 ロジャーさんの新しい小さな窓は、これからどこに向かって開くのでしょうね。

RF 現役を引退してから、これまでのキャリアをずっと振り返っています。この24年間はほんとうに幸運だったと思っています。これからも自分の人生は続きますから、自分自身についてじっくりと考えたい。意義のあること、インパクトのあること、みんなが楽しめること、考えることはたくさんあって楽しいです。いまもっとも大事なのは、やはり家族との時間ですけれど。ユニクロのアンバサダーとしては、次世代育成プロジェクトを通し、選手のときには回りきれなかったような世界中のさまざまな場所へ行こうと、チームの皆さんと話をしています。

柳井 ありがとうございます。ロジャーさんのオープンなところ、柔軟性、これがすべての可能性を広げてきたのだと思います。自分がいい方向に行くと同時に、周囲も巻き込んでいくような可能性ですね。テニスの天才、というのは誰もが言うことですけど、ロジャーさんは人生の天才なんじゃないでしょうか。いまはまだ白紙に近いとしても、しかるべきタイミングでロジャーさんの描く絵が見えてくるでしょう。楽しみですね。

RF ありがとうございます。私自身も期待しています。
(2022年11月18日 東京都江東区有明にて)

ユニクロの次世代育成プログラムが
始まります。

ユニクロは世界中の子どもたちを応援する活動をより一層推進するため、ユニクログローバルブランドアンバサダーであるロジャー・フェデラー選手、錦織 圭選手、国枝慎吾選手、ゴードン・リード選手、アダム・スコット選手、平野歩夢選手の6名をはじめとする世界の一流アスリートやさまざまな団体と連携し、多彩なプログラムを展開していきます。フェデラー選手とは、彼の思い描く目標や彼ならではの関心を反映したグローバルなプログラムを始める準備を進めています。テニス、創造性、文化といったフェデラー選手と当社の共通の関心を反映した2023年の活動計画に、ご期待ください。

ロジャー・フェデラー

ロジャー・フェデラー

1981年8月8日生まれ。スイス・バーゼル出身。
1998年、ATP(男子プロテニス協会)ツアーに初参加。
2004年、世界ランク1位となり、以来237週連続の1位を記録。グランドスラム優勝回数20回、ウィンブルドンでの最多優勝回数8回を誇る。
2022年9月、ロンドンのレーバー・カップでプロテニス選手の現役を引退した。

柳井 正

柳井 正

1949年2月7日生まれ。山口県宇部市出身。
株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長、および、株式会社ユニクロ代表取締役会長兼社長。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)との連携による難民支援など、サステナビリティの実現に向けた取り組みに積極的に関わっている。

ロジャー・フェデラー

有明コロシアムでのイベントでは、フェデラー選手による小学生約50名との「子ども向けクリニック」や、同じくユニクログローバルブランドアンバサダーの錦織圭選手、車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾選手、ゴードン・リード選手も参加したスペシャルテニスセッションも。その一部は2023年2月18日まで下記で視聴可能。

https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/live-commerce/60/
ロジャー・フェデラー
ロジャー・フェデラー
ロジャー・フェデラー

平和を願う、チャリティTシャツプロジェクト
PEACE FOR ALL 進捗レポート

プロジェクトにご協力いただきましてありがとうございます。
皆さまから頂いた寄付金がどのように使われるか、パートナーシップを結んだ3団体の皆さんの声を通して紹介します。

寄付金の総額

2022年8月末時点

総額

148,158,228

Tシャツ収益総額

総額

145,314,300

ユニクロ店頭での募金箱

総額

2,843,928

パートナーシップを結んだ3団体に日本窓口を通して均等に寄付します。

種をまかなければ芽は出ません。小さな芽がやがて大きな森に。

髙井明子さん
公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン事務局長

種をまかなければ芽は出ません。小さな芽がやがて大きな森に。

私たちセーブ・ザ・チルドレンは、第一次世界大戦後の荒廃したヨーロッパで、イギリス人のエグランタイン・ジェブが創設した組織です。敵、味方の枠を超えて、食料不足に陥った子どもたちを支援する活動を始めたことが、私たちの原点となっています。

いま現在、世界の子どもの6人に1人、実に4億5000万人以上もの子どもたちが、なんらかの紛争のもとで暮らしています。想像を超えるようなたいへんな人数です。

PEACE FOR ALLという言葉は、私たちの百年を超える活動にも重なります。平和を取り戻すこと、戦禍にある子どもたちに子どもとしての時間を取り戻すこと、そうした願いも含まれるのではないかと思います。ですから、こうして活動をご一緒できることはとてもありがたく、心強いです。

著名な方々のデザインしたTシャツを買って着てくださることで、誰でも参加できるという仕組みがすばらしいですね。Tシャツは誰にとっても気軽に着ることができますし、しかも目に見えるメッセージを伝えられます。インナーとして着て、秘めた思いを持ってくださるのでも大丈夫。日常的なTシャツがきっかけとなって、世の中が変わってゆく芽が育ちます。芽は種をまかないと出ませんね。Tシャツはその種です。小さな芽が育てば、いつか森になる日が来るはずです。

いただいた寄付金は、ウクライナとその避難民を受け入れている国々、あるいはアフガニスタン、バングラデシュ、トルコ、レバノン、モザンビークなど、困難に直面している子どもたちが数多くいる場所で、支援に使わせていただきます。

「こどもひろば」の開設にも役立てます。避難所のような非日常的な暮らしでは、子ども同士で思い思いに遊ぶこともできない場合も多いんですね。子どもが子ども自身として居られる場所、緊張を強いられない場所、駆け回ったり、声を出したり、自由にやりたいことができる空間。こうした「こどもひろば」を避難所につくって、子どもたちの日常を取り戻したいと計画しています。

「子どもの権利」が
実現されている世界を目指し活動

セーブ・ザ・チルドレン

1919年に設立された、子ども支援活動を行う民間・非営利の国際組織。創設者のイギリス人女性エグランタイン・ジェブは、子どもの権利に関する世界初の公式文書とされる「ジュネーブ子どもの権利宣言」を起草。その理念は、国連の「子どもの権利条約」へとつながりました。すべての子どもにとって、生きる・育つ・守られる・参加する「子どもの権利」が実現されている世界を目指し、約120カ国で子ども支援活動を展開。子どもの権利のパイオニアとして、国連や各国政府からもその専門性を認められ、世界中で、子どもを取り巻く環境に変革をもたらしています。
https://www.savechildren.or.jp

「子どもの権利」が<br>実現されている世界を目指し活動

©Seyba Keita / Save the Children

「入室前には手を洗おう」支援中のマリ共和国の学校で

ただのTシャツではなく、難民支援につながるTシャツ。インパクトは絶大です。

オラフ・チョンラックさん
UNHCR民間連携部シニアパートナーシップオフィサー

ただのTシャツではなく、難民支援につながるTシャツ。インパクトは絶大です。

私はいま、ウクライナに隣接したポーランドの国境地帯にいます。ここは今でもウクライナからの難民が安全な地を求め、逃れてくる場所です。UNHCRは、ユニクロやそのお客さまをはじめとする寄付者の皆さまからのご支援により、困窮する難民を支援することができています。故郷を追われた人々の数が増え続け、女性や子どもがその大半を占めるなか、現金給付支援、心理カウンセリングの提供、入国時に受け入れを行う施設の整備など、多くの支援を提供することができました。

これまで10年以上、ユニクロと共に難民支援を継続してこられたことを誇りに思います。何千万点もの衣服の提供や緊急支援など、UNHCRの活動をたくさん支援してくださいました。他にも、ウェブサイトや店舗で難民の実情やUNHCRとのパートナーシップの重要性をお客さまにお伝えする活動もしてくださいました。ウクライナのみならず、世界中で故郷を追われた人々が増え続けるなか、こういった支援は不可欠なものになってきています。

PEACE FOR ALLプロジェクトの「より良い世界に」というメッセージは、世界中にも広がりを見せています。PEACE FOR ALLのTシャツは、たんなる服の役割をこえ、まさに平和と団結の象徴になっています。世界中にこのTシャツを身に着けている人々がいるということは、このプロジェクトのポジティブなメッセージが届いている証拠です。

ユニクロから継続的にいただいている寄付金に加え、今回PEACE FOR ALLプロジェクトによるご寄付は、ポーランドだけではなく、アフガニスタン、ウクライナ、エチオピア、コンゴ民主共和国、ナイジェリア、パキスタン、ブルキナファソ、ミャンマーなど、世界各地で避難を強いられている人々の命を守るための緊急人道支援に必要な資金源となります。故郷を追われた人の数は1億人を超え、緊急支援から開発支援、民間からの支援は双方に重要な役割を担っています。UNHCRはユニクロの長きにわたる支援に敬意を表し、これから先も共に難民支援の活動を継続していきたいと思っています。

故郷を追われた人々の
保護・支援を行う国連機関

UNHCR

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、紛争や迫害などにより故郷を追われた難民や国内避難民、無国籍者などの保護と支援を担う国連機関です。日々の生活に必要なシェルター、食料、水の提供から、基本的人権の擁護、生活再建に向けた支援、将来への希望につながる解決策を導く支援などまで、活動は多岐にわたっています。本部はスイス・ジュネーブで、さまざまなパートナーと連携しながら、世界約135カ国で活動しています。1954年、1981年にノーベル平和賞を受賞しています。
https://info.japanforunhcr.org/WRD-UQ

故郷を追われた人々の<br>保護・支援を行う国連機関

©UNHCR/William Ejalu

洪水で孤立したソマリアの国内避難民へ救援物資を届ける

女の子が自分の人生を主体的に選ぶこと。その実現のために私たちは活動しています。

コリン・ロジャースさん
プラン・インターナショナル国際本部災害対策責任者

女の子が自分の人生を主体的に選ぶこと。その実現のために私たちは活動しています。

プラン・インターナショナルはさまざまな危機的状況にある子ども、とりわけ女の子たちの支援に重点をおいています。教育機会や職業訓練の提供などを通じ、自分の人生の決定権が、彼女たち自身の手にわたるよう支援を続けています。

女の子たちに十分な教育の機会を提供できていない国や地域では、早い段階で中途退学を強いられたあげくに、10代前半の幼い年齢で強制的に結婚させられる児童婚が多く見られます。親や家族は、結婚がその子を守ることにつながると信じているのですが、実際には子どもが決して体験すべきではないような暴力や虐待に彼女たちをさらす結果になってしまいます。

教育は、自分の人生を自らの意志で選び、生き方の選択肢を増やすための準備期間です。また、平等な社会を実現するための基本でもあります。子どもは本来、子ども時代を楽しみ、未来に希望を抱いて、自由に遊ぶべき存在なのです。

世界では大勢の子どもたちが、十分な食事をとることができずに苦しんでいます。しかし学校給食が安定的に提供されれば、子どもたちが卒業するまで学校に通い続ける大きな動機になります。学校給食の安定的な提供は、プラン・インターナショナルが注力している取り組みです。

質の高い教育を受けることができた子どもたちは、地域やさらに広い範囲でのリーダー、政治家、教育者になるかもしれません。地域の活性化や発展に寄与する未来の担い手となる可能性が大きいのです。

PEACE FOR ALLのTシャツを着た人々は、平和を希求するメッセージを世界にもたらす担い手となって、周囲の人々や社会を動かす力になるでしょう。たんなる寄付とは異なる、パワフルなムーブメントになる可能性もあります。ユニクロはそうした変化をグローバルに広める手段をもっています。これからも一緖に、多くの人々が関心を寄せるべき世界的な課題の人道危機にも光を当て、人々の関心を高め、支援へとつなげていきたいですね。Tシャツを着てくださる方々と、どんなつながりができてゆくのか、今後にもおおいに期待しています。

貧困や差別に直面する女の子の
権利や「生きる力」を支援

プラン・インターナショナル

1937年、イギリス人ジャーナリスト、ジョン・ラングドン=デービスと友人エリック・マッゲリッジが「スペインの子どものためのフォスター・ペアレンツ・プラン委員会」を設立、スペイン内戦の戦災孤児を支援したのが始まりでした。第二次世界大戦中は、フランス、イギリスと拠点を移しながら、支援の対象をあらゆる国籍・人種の子どもに拡大。大戦後は、アジア、アフリカ、中南米の途上国に活動の場を移しました。女の子が本来持つ力を引き出すことで地域社会に前向きな変化をもたらし、世界が直面する課題解決に取り組む国際NGOです。
https://go.plan-international.jp/ut-charity/

貧困や差別に直面する女の子の<br>権利や「生きる力」を支援

©Plan International

早すぎる結婚の防止について話しあうベトナムの子どもたち

たった1枚のTシャツにも、平和のためにできることがある。

「世界の平和を願ってアクションする」そんなユニクロの想いに賛同した著名人がボランティアで参加し、平和への願いを込めてデザインしたTシャツを続々と発表。その利益の全額は、貧困、差別、暴力、紛争、戦争によって被害を受けた人々を支援する、国際的な団体へと寄付されます。PEACE FOR ALLは、「あなた」がTシャツを着ることで動き出すプロジェクト。すべての人が安全に暮らせる未来と、世界の平和を願って。ユニクロはこの取り組みを、世界中の人とともにひろげていきます。

Jonathan Anderson

Jonathan Anderson

ジョナサン・アンダーソン

Tadao Ando

Tadao Ando

安藤忠雄

Rei Inamoto

Rei Inamoto

レイ・イナモト

Wim Wenders

Wim Wenders

ヴィム・ヴェンダース

KAWS

KAWS

カウズ

Kosuke Kawamura

Kosuke Kawamura

河村康輔

Shingo Kunieda

Shingo Kunieda

国枝慎吾

Kashiwa Sato

Kashiwa Sato

佐藤可士和

Adam Scott

Adam Scott

アダム・スコット

HANA TAJIMA

HANA TAJIMA

ハナ・タジマ

Kei Nishikori

Kei Nishikori

錦織圭

Ayumu Hirano

Ayumu Hirano

平野歩夢

PEANUTS

PEANUTS

ピーナッツ

Ines De La Fessange

Ines De La Fessange

イネス・ド・ラ・フレサンジュ

Keith Haring

Keith Haring

キース・へリング

Haruki Murakami

Haruki Murakami

村上春樹

Shinya Yamanaka

Shinya Yamanaka

山中伸弥

Lisa Larson

Lisa Larson

リサ・ラーソン

Gordon Reid

Gordon Reid

ゴードン・リード

Christophe Lemaire

Christophe Lemaire

クリストフ・ルメール

アンケートにご協力ください

「服のチカラ」へのご意見・ご感想のほか、ユニクロのサステナビリティ活動について、ぜひ皆さまのお声をお聞かせください。

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