2025.01.31

キース・ヘリング×コカ・コーラ:誰もが着られる、すべての人に届けるアート

キース・ヘリング X コカ・コーラ®

今回のキース・ヘリングは、コカ・コーラとのコラボレーション。コカ・コーラのロゴをモチーフにした作品を制作したり、コークの缶に直接絵を描いたりと、自身のアートに積極的にコカ・コーラのアイコンを取り入れていたキース。どこにでもあるイメージを取り入れて、あらゆる場所にアートを拡散していく手法は、どのように生まれたのか? キースが目指していたアートの形とは? 当時のキースをよく知る文化批評家でキュレーターのカルロ・マコーミック氏に話を聞くと、キース・ヘリングの作品がTシャツになることは、ある意味「必然」なのだとわかった。

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キース・ヘリングとはどのようなつながりがありましたか? キースはどんな人でしたか?

私がキースに出会ったのは、それぞれの生き方やコミュニティが創造的な表現に出会い、ゆるやかに混じり合う、そんな場所でした。あの頃はみんなそのようにして知り合ったものです。最初はナイトクラブから。Club 57をはじめとして、Mudd Club、Palladium、Areaなどいろいろありました。自分も当時ナイトクラブで働いていて、キースはそういうクラブで、すごく大がかりでかっこいい展示をやっていたんです。最初に仕事をしたのはClub 57でした。マンハッタン、イーストビレッジのセント・マークス・プレイスにある、ポーランド系の教会の下にあったクラブです。1980年、キースはそこで「Xerox Art Show」というゼロックスコピーがテーマの展覧会を企画し、パフォーマンスを行いました。私自身が最初の展示を企画したのも同じクラブです。キースは3歳年上だったので、若い私は彼のあとを追いかけるようにして多くの時間を過ごしました。
イーストビレッジは小さなエリアでアートシーンも限られていますから、誰もがいずれはそこを後にしなければなりません。でもそこで青春を過ごした我々にとっては、自分たちを形作った場所でもあり、不遜さと野心が混じり合った感覚をみんなが共有していました。それは、ある種の喜びと遊び心でもあり、同時に思慮深く真剣な思いでもあったのです。キースについても、こういった性質を併せ持っていたことをよく覚えています。

キースの作品は日本も含めて世界中で愛されています。カルロさんがキースのなかで一番好きな活動や表現は何ですか?

もちろんキースがスタジオで描いたペインティングも好きですが、彼の活動のなかで一番好きなのは、地下鉄のドローイングや、出向いた先々で描いた壁画など、公共空間に介入した表現ですね。そして誰にでも入手可能でアクセスしやすいアートを作ろうと試みて、「Pop Shop」という形で発表したこと。それぞれの取り組みのなかで、彼はグラフィティの台頭とマルチプル作品(量産され安価で販売されるアート作品)の創作という、当時始まって間もない系譜を拡張し、ラディカルな可能性を示しました。その可能性は現在、ストリートアートやアート商品などの人気の高まりに体現されています。

写真:Gamma Rapho/アフロ

キースはなぜコカ・コーラのロゴに惹かれ、コークの缶に絵を描いたのでしょう? 純粋にビジュアルに魅せられたのでしょうか、それとももっと深いつながりを見出したのでしょうか?

キースは普遍的な言語に関心を持っていました。とくに言葉や文化に関係なく、誰でもどこでも意味を読み取ることができるシンボルや、絵であらわした記号に興味があったようです。「ラディアント・ベイビー」(光輝く赤ん坊)や「バーキング・ドッグ」(吠える犬)など、自らも視覚的な記号を作り出していましたし、他の一般的な記号表現がどのように作用するのかについても、常に注目していました。どこにでもあるコカ・コーラのラベルについても、おそらくそのような観点から興味をそそられたのでしょう。ウォルト・ディズニーを称賛したのと同じようにね。
しかし同時に、アンディ・ウォーホルがキースの芸術と思考に多大な影響を与えたことも考えなければなりません。ウォーホルがコカ・コーラの絵を描いたのは1962年のことで、キャリアのかなり初期、ちょうどキャンベル・スープ缶の絵がポップ・アートというものを決定づけようとしていた頃でした。シルクスクリーンを、イメージ制作の機械的なプロセスとして使い始めた時期でもあります。

コカ・コーラのような大企業や、ユニクロが作る大量生産のTシャツのような商品とアーティストがコラボレーションすることは、しばしば批判の対象になります。でもキースは親しみやすさを大切にしていました。大量生産には本質的な問題があると批判する人々に対して、キースだったら何と応答すると思いますか?

ファイン・アート、あるいは本物の「カルチャー」と呼ぶべきものは、難解で、普通を超えた存在で、大量生産や消費主義などという低俗なものに汚染されていない、と信じる人々はいつだって存在しますね。それはそれでいいと思います。純粋さや高みを追求する彼らの理想を否定はしませんが、キース・ヘリングのようなアーティストを理解することはできないでしょう、残念ながら。
私は人の代わり、とくにもうこの世におらず発言できない人の代弁をするのはあまり好みませんが、キースだったらこのプロジェクトは気に入るだろうと思います。高品質な洋服を非常に安価で人々に提供するユニクロのことを素晴らしいと言うでしょうし。

キースにとって、多くの人に届く作品であることはなぜそんなに重要だったのでしょうか?  ギル・バスケス氏との対話のなかでカルロさんは、「キースは1万ドルの作品を一つ売るよりも、1万枚のTシャツを売る方に興味があった」*と言っていますね。

キースは自分の芸術を、誰もが見ることができ、誰もが理解でき、誰もが買うことのできるような、身近なものにしたいと考えていました。この哲学が、彼のキャリアにおけるいくつもの重要な決断を支えました。美術館や文化施設にいるような監視員なしに、多くの人が無料で見ることのできる公共の場所で、アートを制作するために継続的に努力すること。Tシャツ、ポスター、ステッカー、もしくは冷蔵庫に貼るマグネットのような、庶民のための庶民的なモノを制作すること。こうして彼は、比較的最近生まれたマルチプル作品という考え方から、手仕事感や高尚な雰囲気をさらに抑えて、アートグッズと呼べるようなものを作り出し、実際に大量消費されるモノたちと同じ市場で競争できるようにしたのです。彼が「Pop Shop」をオープンしたのもまさにこのためで、自分の安価なデザインや友人たちの似たような価値観の作品を販売していました。「Pop Shop」は東京の青山にもオープンしたんですよ。
キースは偉大な芸術の力を疑ってはいなかったし、その歴史も知っていたし、尊敬もしていた。けれども彼が活用し、解き放とうとした力は、毎日の暮らしのなかの、誰にでもあるものでした。審美眼や特権の有無とは関係ない、親しみやすさがすべての、人々への贈り物だったのです。

1980年代のニューヨークはどのような雰囲気だったのでしょうか? 当時の人々にとってキースはどのような存在でしたか?

1970年代後半から1980年代前半、キース・ヘリングが現れた頃のニューヨークはボロボロでした。お金がなく、インフラは破綻し、大量の中流階級が街から流出したことで放置された過疎地のようになり、みんなニューヨークを怖がっていました。住むには難しいところでしたが、アーティストたちにとってはいろんな意味で聖域でした。あらゆる犯罪に比べれば芸術は無害に等しいので、好きなことをする自由があったし、誰も住みたがらないような古いアパートに安く住むことができました。そして、自分の生活スタイルや性的嗜好、ボヘミアン的価値観のために社会から追放されてここに流れ着いた、幅広い多様性を持った人々が集まっていました。私たちの共通点は「違う」ということであり、それが私たちに新たな可能性を与えてくれました。キースは常にこの集まりを牽引する存在でした。

写真:AP/アフロ

ニューヨークで起こっていることと、それ以外のアメリカで起こっていることの間には大きな断絶があり、マンハッタンはどこかアメリカ合衆国の沿岸にある外国の島のような感じでした。80年代に生み出されたアートは、アメリカ文化を異質なものであると同時に親しみのあるものとして再提示し、消費者やメディアの平凡さを、素直な愛着と批判的な視点を持って吟味しました。ポップ・アート、とくにアンディ・ウォーホルに大きな影響を受けたキースと、ケニー・シャーフのような友人たちは、アメリカン・ドリームのありふれた漫画のような風景を自分たちの言語として取り入れ、そこに表現される終わりのない快楽を、讃えつつも揶揄したのです。

アーティストは没後何年も経ってから作品が評価されることも多いですが、キースの作品は瞬時に人々の心に響きました。なぜ彼の芸術はそんなにもすぐに注目され、称賛されたのだと思いますか?

キースは同時代的な現象であり、悲劇にも短命に終わった生涯のうちに、国際的なスターとなった人です。存命中にそこまで愛されるアーティストはほとんどいません。彼は、これまで限られた人にのみ開かれていたアート界が、若い声に対して新しく開かれたちょうどその時期に登場し、さらにヒップホップ、グラフィティ、ハウスやその他のダンス・ミュージック、都市のストリートスタイルなど、若者が日常的に楽しむ文化に精通していました。キースほどこれらのものを深く理解し、楽しんでいたアーティストは少なかったし、それらを独自のやり方で表現するしなやかさを持つ者も多くありませんでした。この能力によって彼は、その時代の持つ雰囲気や考え方、つまり「時代精神」と呼ばれるものを完璧に体現していたのです。

キース・ヘリングの作品とレガシーが、現在もさまざまな世代や地域の人々とつながり続けるのはなぜでしょうか?

驚くべきことに、キース・ヘリングは歴史的に重要な人物というだけでなく、文化的、社会的、政治的な状況において極めて重要で現代的な人物です。なぜなら、彼が大切にしていた思想、支持した大義、アートを世に広めるために用いた戦略は、すべて私たちが生きている現在においても、非常にタイムリーだからです。彼が取り組んだ社会問題、不公平と偏見、そして私たちが直面している生態系の危機は、今なお喫緊の課題であり、注目を必要としています。現在、世界にはびこるさまざまな問題を目の当たりにしている若い世代の人たちは、年長者たちを見て、「何をしてくれたんだ、どうしてこんなひどい状態の地球を私たちに残したんだ」と言うでしょう。でもキースの人生と芸術を見て、この世界をより良い場所にするために、できる限りのことをした人物もいるのだと知るでしょう。そして振り返ってみれば、文化的にも、キースがアートとは何たり得るのかについて恐れず実験したことで——地下鉄の壁や広告に描かれた絵、誰もが楽しめる大きな壁画、Tシャツ、コンドームなど、アートが描かれていれば少し楽しくなるだろうと想像できるものならなんでも——、多くの世代に門戸が開かれたのだということがわかります。キース・ヘリングが現れ、ここまで劇的にアートのあり方を変えていなかったら、今日のアートはどうなっていたでしょう。彼がどれほど先駆的な道を歩んだのか忘れがちですが…もし今の若い人たちがキースの作品を身近に感じるなら、それはキースが親しみやすさを作り出す達人であったからというだけではなく、その後多くのアーティストやクリエイターが、彼の足跡をたどってきたからなのです。

*出典
https://www.youtube.com/watch?v=WKP1jXuBZrE
Keith Haring: Stairwell to Grace with Carlo McCormick & Gil Vazquez

PROFILE

カルロ・マコーミック|ニューヨーク在住の文化批評家、アートキュレーター。数々の著書を執筆。最新著に「Magic City: The Art of The Street 」がある。

©Keith Haring Foundation. Licensed by Artestar, New York.
©The Coca-Cola Company. All Rights Reserved.

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