難民映画基金インタビュー第4回
『Super Afghan Gym』シャフルバヌ・サダト監督|どこにも属さない状態こそがホーム
ロッテルダム映画祭(IFFR)で2025年にパイロット版として創設が発表された「難民映画基金」(Displacement Film Fund 、以下DFF)。「ディスプレイスメント(避難・強制移動)」を余儀なくされた、またはその物語に向き合う映画制作者5名に対し、短編映画制作のために一人あたり10万ユーロを支援し、2026年のIFFRでのプレミア上映の機会を提供する取り組みです。株式会社ユニクロも、創設パートナーとして参画しています。
2026年1月30日(現地時間)、支援を受けた5名の短編がIFFRで初披露され、DFFは初の成果を迎えました。プレミア上映の翌日に実施した、映画が生んだ連帯とこの新しい基金の可能性についての関係者へのインタビューをお届けします。本シリーズ第3回は、アフガニスタン・カブールにあるジムに集まる世代の異なる女性たちの連帯を描く短編映画『Super Afghan Gym』を監督した、シャフルバヌ・サダト監督が、DFFでの経験を語ります。
——DFFの依頼から、わずか6ヵ月という短い期間で映画を完成させました。振り返ると、どのような経験でしたか?
6ヵ月という期間は妥当な期間でした。多くの場合、時間がかかるのは開発や脚本の段階で、実際の制作はあっという間に終わるので。ただ面白いのは、このプロジェクトのオファーを受けたとき、「ゼロから考え始める」という感覚はなかったことです。映画監督というのは常にアイデアを抱えているものです。撮りたいけれどロケ地が見つからないとか、語りたい衝動はあるけれど状況が整っていないといったアイデアのストックは常にあって、『Super Afghan Gym』も、その一つでした。直前に取り組んでいた作品では、ドイツの屋外・室内でカブールの風景を再現しなければならず、本当に大変だったんです。予算の大部分が物流や宿泊費、交通費として消えてしまい、本来の「芸術」に使える部分が少なくなってしまうことも。そこで、「もっと親密で、一つのロケーションに集中できる作品を作れたらいいのに」と思っていた頃に声がかかって、「これだ!」と思いました。
——制作のプロセスの中で、心に残った瞬間、発見したことはありますか?
撮影中に「こうなるはず」という期待や先入観を持ちたくないんです。なぜなら、アフガニスタン出身の若い女性監督として、常に「こういう作品を作るべき」という外側からの期待が寄せられるから。戦争、爆発、もしくは男が妻を殴る場面。どこにも書かれていないけれど、市場がそれを求めてくる。でもその期待は、私の現実とは無関係のものです。その期待に応えようとすれば、自分に対して不誠実になってしまう。だから私は、そうしません。私にとって映画制作はプロセスであり、その中で自分自身を見つけていくものです。最初から何を語るのか明確にわかってはいません。完成したとき初めて、「この映画はこういうことだったのか」と理解する。だから、「政治的な映画監督ですか?」と聞かれれば、「違う」と答えます。政治的な監督は最初から明確な目的を持っていますが、私はそうではないので。例えば前作では、3年かけて脚本を書き、10稿以上重ねた末に、「これは家父長制についての作品だった」と気づきました。最初からそう決めていたわけではないんです。
——映画を完成させたことで、この基金や「ディスプレイスメント」というテーマについて、何か新たに気づいたことや、自分の中で変わったことはありましたか?
「ディスプレイスメント」というテーマは私の日常そのものです。意識するしないにかかわらず、それが私のアイデンティティに結びついていて、世界が私を見る目そのものとなっています。ただ、この基金が何より重要だったのは、コミュニティの存在です。異なる国や背景を持つ人たちが集まり、それぞれが「アジェンダ」からではなく、自分自身から湧き出る作品を作る。そしてそのコミュニティが毎年広がっていくことです。
——そもそも、映画や物語が世界に応答する方法であると考えるようになったきっかけとは?
偶然です。映画監督になるつもりはありませんでした。アフガニスタン人の両親のもとイランで生まれましたが、そこにはアフガン難民に対する信じられないほどひどい差別があるんです。小学校に通っていた時期でさえ、省庁から「アフガニスタンの生徒は退去しなければならない」といった内容の手紙が届くのではないかという恐怖に常に苛まれていました。そして結局、10歳か11歳のとき、ついにその通知が届き、退学させられました。その後アフガニスタンに戻ったものの、教育環境はほとんどなかった。結果的に数学年分飛び越えて進学し、高校卒業後はカブールで物理を学ぼうとしました。家族がとても宗教に熱心だったので、別の現実を見せてくれる科学に夢中になったんです。でも、間違えて映画・演劇学科の試験を受けてしまい、気づいたら映画監督になっていました。その過程で、この仕事に深く魅了されました。また、4年前、私たちがアフガニスタンから避難したときの経験が大きな転機になっています。軍用機の中で、両親の顔を見ていました。いつ戻れるかもわからないし、私にとってこれほど劇的な形で国を離れるのは初めての体験でしたが、両親にとっては、ソビエト侵攻のとき以来、二度目の亡命でした。泣いてしまった私に、父が「大丈夫だ」と言った瞬間、気づいたんです。自分には、彼らのような人々の経験を表現する役目がある、と。発言の場を持たない人、自分を表現する技術がなかったり、経験したことを精神的に処理する余裕がない人、そういった声を持たない人々の代わりに語ることが自分の仕事なのだと。映画制作は精神的に非常に負荷の大きい仕事でもあります。他者の痛みを引き受ける必要があるからです。だからこそ、映画監督は自分自身を大切にすることも重要だと思っています。

——あなたにとって「ホーム」とは何を意味しますか?
正直に言うと、記憶のある限り、私はこれまでどこにも「ホーム」を感じたことがありません。イランでもアフガニスタンでも、常に「あなたはここに属していない」と言われ続けてきました。でもドイツに来て、ふと気づいたんです。どこにも属さないというこの感覚、これが私の「ホーム」なのかもしれない、と。一つの場所に縛られていないということは、どこにでも属せるということだから。今なら、アフガニスタンも、イランも、ドイツもすべて自分の「ホーム」になり得ると思っています。どこに住んでいても、幸せでいられます。ナショナリズムや政治が人を分断しているだけ。最終的に、私は自分の身体の中に「ホーム」を感じていたいんです。身体と一緒にどこへでも行けるから、どこでも「ホーム」なんですよね。
——今、自分が語るべきだと感じている物語とは?
自分にとって本当に意味のある、個人的で正直な物語です。自分が経験したこと、または身近な人が経験したこと。知らないテーマについては語れません。DFFから声がかかったとき、正直「難民や移民の映画はもう作りたくない」というのが最初の反応でした。表面的で一面的な、悲しさを強調した作品が多すぎるから。ずっと難民として移民生活を送ってきた私でさえ、まるで被害者扱いされているような気がして、その流れに加担したくなかった。女性を扱うテーマについても同じように感じていました。話題にされても、表層的で浅はかな話が多く、深く掘り下げられていないものばかりと。でも最近気づいたんです。「ディスプレイスメント」「難民」「移民」「女性」こそが私のテーマだと。だから、本当に自分が正しいと思うありのままのやり方で、正直に、勇敢に、自分の条件で語らなければならない。そうするために大切なのは、外からの期待を認識しつつも、それに縛られないこと。周りから好かれることよりも、自分のアイデアを信じることの方が大事だと思います。
——だからこそ、あなたの作品のユーモアが、会場を沸かせていたんですね。
人間はどんなに過酷な状況でも、それを乗り越えるためにユーモアを見出します。アフガニスタンでは、自爆テロについてのジョークさえ存在する。生き延びるための対処法なんです。だから、難民や移民をただ悲しい存在として描くのは、実は彼らの人間性を奪うことでもある。現実はもっと複雑ですから。
——1月30日(現地時間)に行われた、ワールドプレミア上映はいかがでしたか?
とても長く、感情的な一日でした。でも何より嬉しかったのは、普段は自分の世界に閉じこもって孤独になりがちな映画監督たちが隣り合って座っていたこと。話してみると、同じことで悩んでいるとわかる。もしあなたが差別に苦しんでいるならば、相手もまた別の形でそれを経験している。そして、そこから計り知れないほどの力と希望、エネルギーが生まれるんです。一人で苦しむより、一緒に苦しむ方がマシですよね。
——5本の映画を一緒に観ることで、何が見えてくると思いますか?
アフガニスタンの話を語ろうが、ソマリアの話、ウクライナの話をしようが、根っこは同じで、人間のあり方や感情といった、本質に同じように触れていると思いました。ただ背景が異なるだけ。だからこそ観客の心に響く。例えば、アウトサイダーであるとか、孤独であるとか、家父長制社会における女性であるとか、そういう話は、みんな日々経験していることですから。今日、モ・ハラウェと話しながら、10秒ごとに「私も! 私も!」と言い続けてしまいました(笑)。自分が深く感じているけれどうまく言葉にできないようなことを、誰かが代弁してくれるのって、すごく力強いものがありますよね。「どうして他人が、あれほどうまく表現できるんだろう?」と思わず考えてしまいます。

アフガニスタン人の両親のもとイランで生まれ、10代でアフガニスタンに戻り、カブールを拠点に活動していた映画監督・脚本家・プロデューサー。近年はドイツに避難。長編デビュー作『狼と羊(原題:Wolf and Sheep)』は、2016年カンヌ国際映画祭「監督週間」で最高賞を受賞。自身が主演する自伝的映画『No Good Men』は、2026年のベルリン国際映画祭でオープニングを飾った。現在、新作コメディ映画を制作中。
「PEACE FOR ALL」とのコラボレーションが決定
ユニクロのチャリティTシャツプロジェクト「PEACE FOR ALL」と「難民映画基金(Displacement Film Fund)」のコラボレーションによるTシャツが2026年6月19日(金)より発売。支援を受ける5名の映画監督が寄せた「平和」をテーマにした言葉をもとに、映画の力で難民の声を世界に届ける想いをデザインで表現しています。 このTシャツの利益は、「Displacement Film Fund(難民映画基金)」へ寄付されます。
難民映画基金(Displacement Film Fund)」とは
「難民映画基金」は、避難を余儀なくされた映画制作者、または避難民としての経験を描いた実績のある映画制作者の活動を支援・助成するために設立されました。2025年の第54回ロッテルダム国際映画祭(IFFR)において、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使であるケイト・ブランシェット氏が共同設立し、主導するこの基金は、第54回ロッテルダム国際映画祭で発表され、マスターマインド、ユニクロ、ドローム・エン・ダード、タマーファミリー財団、アマホロ連合が創設パートナーとして名を連ねています。ヒューバート・バルス基金を運営パートナー、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を戦略パートナーとし、短編映画への助成制度を開始。さらに、第55回ロッテルダム国際映画祭において、新たな主要パートナーとしてアールティ・ロヒア氏およびSPロヒア財団が加わることが発表されました。両者はパイロットイヤーの成功を受け、同基金への支援を約束しています。
詳しくはこちらから
ロッテルダム映画祭(IFFR)で2025年にパイロット版として創設が発表された「難民映画基金」(Displacement Film Fund 、以下DFF)。「ディスプレイスメント(避難・強制移動)」を余儀なくされた、またはその物語に向き合う映画制作者5名に対し、短編映画制作のために一人あたり10万ユーロを支援し、2026年のIFFRでのプレミア上映の機会を提供する取り組みです。株式会社ユニクロも、創設パートナーとして参画しています。
2026年1月30日(現地時間)、支援を受けた5名の短編がIFFRで初披露され、DFFは初の成果を迎えました。プレミア上映の翌日に実施した、映画が生んだ連帯とこの新しい基金の可能性についての関係者へのインタビューをお届けします。本シリーズ第3回は、アフガニスタン・カブールにあるジムに集まる世代の異なる女性たちの連帯を描く短編映画『Super Afghan Gym』を監督した、シャフルバヌ・サダト監督が、DFFでの経験を語ります。
——DFFの依頼から、わずか6ヵ月という短い期間で映画を完成させました。振り返ると、どのような経験でしたか?
6ヵ月という期間は妥当な期間でした。多くの場合、時間がかかるのは開発や脚本の段階で、実際の制作はあっという間に終わるので。ただ面白いのは、このプロジェクトのオファーを受けたとき、「ゼロから考え始める」という感覚はなかったことです。映画監督というのは常にアイデアを抱えているものです。撮りたいけれどロケ地が見つからないとか、語りたい衝動はあるけれど状況が整っていないといったアイデアのストックは常にあって、『Super Afghan Gym』も、その一つでした。直前に取り組んでいた作品では、ドイツの屋外・室内でカブールの風景を再現しなければならず、本当に大変だったんです。予算の大部分が物流や宿泊費、交通費として消えてしまい、本来の「芸術」に使える部分が少なくなってしまうことも。そこで、「もっと親密で、一つのロケーションに集中できる作品を作れたらいいのに」と思っていた頃に声がかかって、「これだ!」と思いました。
——制作のプロセスの中で、心に残った瞬間、発見したことはありますか?
撮影中に「こうなるはず」という期待や先入観を持ちたくないんです。なぜなら、アフガニスタン出身の若い女性監督として、常に「こういう作品を作るべき」という外側からの期待が寄せられるから。戦争、爆発、もしくは男が妻を殴る場面。どこにも書かれていないけれど、市場がそれを求めてくる。でもその期待は、私の現実とは無関係のものです。その期待に応えようとすれば、自分に対して不誠実になってしまう。だから私は、そうしません。私にとって映画制作はプロセスであり、その中で自分自身を見つけていくものです。最初から何を語るのか明確にわかってはいません。完成したとき初めて、「この映画はこういうことだったのか」と理解する。だから、「政治的な映画監督ですか?」と聞かれれば、「違う」と答えます。政治的な監督は最初から明確な目的を持っていますが、私はそうではないので。例えば前作では、3年かけて脚本を書き、10稿以上重ねた末に、「これは家父長制についての作品だった」と気づきました。最初からそう決めていたわけではないんです。
——映画を完成させたことで、この基金や「ディスプレイスメント」というテーマについて、何か新たに気づいたことや、自分の中で変わったことはありましたか?
「ディスプレイスメント」というテーマは私の日常そのものです。意識するしないにかかわらず、それが私のアイデンティティに結びついていて、世界が私を見る目そのものとなっています。ただ、この基金が何より重要だったのは、コミュニティの存在です。異なる国や背景を持つ人たちが集まり、それぞれが「アジェンダ」からではなく、自分自身から湧き出る作品を作る。そしてそのコミュニティが毎年広がっていくことです。
——そもそも、映画や物語が世界に応答する方法であると考えるようになったきっかけとは?
偶然です。映画監督になるつもりはありませんでした。アフガニスタン人の両親のもとイランで生まれましたが、そこにはアフガン難民に対する信じられないほどひどい差別があるんです。小学校に通っていた時期でさえ、省庁から「アフガニスタンの生徒は退去しなければならない」といった内容の手紙が届くのではないかという恐怖に常に苛まれていました。そして結局、10歳か11歳のとき、ついにその通知が届き、退学させられました。その後アフガニスタンに戻ったものの、教育環境はほとんどなかった。結果的に数学年分飛び越えて進学し、高校卒業後はカブールで物理を学ぼうとしました。家族がとても宗教に熱心だったので、別の現実を見せてくれる科学に夢中になったんです。でも、間違えて映画・演劇学科の試験を受けてしまい、気づいたら映画監督になっていました。その過程で、この仕事に深く魅了されました。また、4年前、私たちがアフガニスタンから避難したときの経験が大きな転機になっています。軍用機の中で、両親の顔を見ていました。いつ戻れるかもわからないし、私にとってこれほど劇的な形で国を離れるのは初めての体験でしたが、両親にとっては、ソビエト侵攻のとき以来、二度目の亡命でした。泣いてしまった私に、父が「大丈夫だ」と言った瞬間、気づいたんです。自分には、彼らのような人々の経験を表現する役目がある、と。発言の場を持たない人、自分を表現する技術がなかったり、経験したことを精神的に処理する余裕がない人、そういった声を持たない人々の代わりに語ることが自分の仕事なのだと。映画制作は精神的に非常に負荷の大きい仕事でもあります。他者の痛みを引き受ける必要があるからです。だからこそ、映画監督は自分自身を大切にすることも重要だと思っています。

——あなたにとって「ホーム」とは何を意味しますか?
正直に言うと、記憶のある限り、私はこれまでどこにも「ホーム」を感じたことがありません。イランでもアフガニスタンでも、常に「あなたはここに属していない」と言われ続けてきました。でもドイツに来て、ふと気づいたんです。どこにも属さないというこの感覚、これが私の「ホーム」なのかもしれない、と。一つの場所に縛られていないということは、どこにでも属せるということだから。今なら、アフガニスタンも、イランも、ドイツもすべて自分の「ホーム」になり得ると思っています。どこに住んでいても、幸せでいられます。ナショナリズムや政治が人を分断しているだけ。最終的に、私は自分の身体の中に「ホーム」を感じていたいんです。身体と一緒にどこへでも行けるから、どこでも「ホーム」なんですよね。
——今、自分が語るべきだと感じている物語とは?
自分にとって本当に意味のある、個人的で正直な物語です。自分が経験したこと、または身近な人が経験したこと。知らないテーマについては語れません。DFFから声がかかったとき、正直「難民や移民の映画はもう作りたくない」というのが最初の反応でした。表面的で一面的な、悲しさを強調した作品が多すぎるから。ずっと難民として移民生活を送ってきた私でさえ、まるで被害者扱いされているような気がして、その流れに加担したくなかった。女性を扱うテーマについても同じように感じていました。話題にされても、表層的で浅はかな話が多く、深く掘り下げられていないものばかりと。でも最近気づいたんです。「ディスプレイスメント」「難民」「移民」「女性」こそが私のテーマだと。だから、本当に自分が正しいと思うありのままのやり方で、正直に、勇敢に、自分の条件で語らなければならない。そうするために大切なのは、外からの期待を認識しつつも、それに縛られないこと。周りから好かれることよりも、自分のアイデアを信じることの方が大事だと思います。
——だからこそ、あなたの作品のユーモアが、会場を沸かせていたんですね。
人間はどんなに過酷な状況でも、それを乗り越えるためにユーモアを見出します。アフガニスタンでは、自爆テロについてのジョークさえ存在する。生き延びるための対処法なんです。だから、難民や移民をただ悲しい存在として描くのは、実は彼らの人間性を奪うことでもある。現実はもっと複雑ですから。
——1月30日(現地時間)に行われた、ワールドプレミア上映はいかがでしたか?
とても長く、感情的な一日でした。でも何より嬉しかったのは、普段は自分の世界に閉じこもって孤独になりがちな映画監督たちが隣り合って座っていたこと。話してみると、同じことで悩んでいるとわかる。もしあなたが差別に苦しんでいるならば、相手もまた別の形でそれを経験している。そして、そこから計り知れないほどの力と希望、エネルギーが生まれるんです。一人で苦しむより、一緒に苦しむ方がマシですよね。
——5本の映画を一緒に観ることで、何が見えてくると思いますか?
アフガニスタンの話を語ろうが、ソマリアの話、ウクライナの話をしようが、根っこは同じで、人間のあり方や感情といった、本質に同じように触れていると思いました。ただ背景が異なるだけ。だからこそ観客の心に響く。例えば、アウトサイダーであるとか、孤独であるとか、家父長制社会における女性であるとか、そういう話は、みんな日々経験していることですから。今日、モ・ハラウェと話しながら、10秒ごとに「私も! 私も!」と言い続けてしまいました(笑)。自分が深く感じているけれどうまく言葉にできないようなことを、誰かが代弁してくれるのって、すごく力強いものがありますよね。「どうして他人が、あれほどうまく表現できるんだろう?」と思わず考えてしまいます。

アフガニスタン人の両親のもとイランで生まれ、10代でアフガニスタンに戻り、カブールを拠点に活動していた映画監督・脚本家・プロデューサー。近年はドイツに避難。長編デビュー作『狼と羊(原題:Wolf and Sheep)』は、2016年カンヌ国際映画祭「監督週間」で最高賞を受賞。自身が主演する自伝的映画『No Good Men』は、2026年のベルリン国際映画祭でオープニングを飾った。現在、新作コメディ映画を制作中。
「PEACE FOR ALL」とのコラボレーションが決定
ユニクロのチャリティTシャツプロジェクト「PEACE FOR ALL」と「難民映画基金(Displacement Film Fund)」のコラボレーションによるTシャツが2026年6月19日(金)より発売。支援を受ける5名の映画監督が寄せた「平和」をテーマにした言葉をもとに、映画の力で難民の声を世界に届ける想いをデザインで表現しています。 このTシャツの利益は、「Displacement Film Fund(難民映画基金)」へ寄付されます。
難民映画基金(Displacement Film Fund)」とは
「難民映画基金」は、避難を余儀なくされた映画制作者、または避難民としての経験を描いた実績のある映画制作者の活動を支援・助成するために設立されました。2025年の第54回ロッテルダム国際映画祭(IFFR)において、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使であるケイト・ブランシェット氏が共同設立し、主導するこの基金は、第54回ロッテルダム国際映画祭で発表され、マスターマインド、ユニクロ、ドローム・エン・ダード、タマーファミリー財団、アマホロ連合が創設パートナーとして名を連ねています。ヒューバート・バルス基金を運営パートナー、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を戦略パートナーとし、短編映画への助成制度を開始。さらに、第55回ロッテルダム国際映画祭において、新たな主要パートナーとしてアールティ・ロヒア氏およびSPロヒア財団が加わることが発表されました。両者はパイロットイヤーの成功を受け、同基金への支援を約束しています。
詳しくはこちらから
