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難民映画基金インタビュー特別編 ―俳優・モデル・映画監督 岡本多緒さん「知らないこと」からくる怖さを、日常からほどいていく

Sep 28, 2026
LifeWear

ロッテルダム映画祭(IFFR)で2025年に創設が発表された「ディスプレイスメント・フィルム・ファンド(難民映画基金/ DFF)」。「ディスプレイスメント(避難・強制移動)」を余儀なくされた、またはその物語に向き合う映画制作者を支援する取り組みで、株式会社ユニクロも創設パートナーとして参画しています。

6月20日「世界難民の日」に先立つ6月18日、「PEACE FOR ALL × 難民映画基金 ショートフィルム特別上映会」が開催されました。トークイベントに登壇した俳優・モデル・映画監督の岡本多緒さんにインタビューを実施。近年は監督として、義母のチベット難民としてのルーツに着想を得た短編『マイ・スウィート・パーラ』を手がけた多緒さんに、「ディスプレイスメント」というテーマとの出会い、そして、俳優、監督として、誰かの居場所となる物語を生み出していくことについて聞きました。

——多緒さんは毎年「難民映画祭」に足を運ばれているそうですが、「ディスプレイスメント」というテーマに関心を持たれたきっかけは?

夫がチベットにルーツを持っていて、彼のお母さんが難民の第一世代なんです。チベットからインドへ渡り、そこからスイスに受け入れられた、という背景を持つ人で。そうした家族と暮らしていくなかで、難民の問題を本当に身近に感じるようになりました。ただ思い返すと、私が初めて難民の方に出会ったのは、実は日本だったんです。

——そうだったんですね。

モデルをしていた頃、地方のヘアショーで、とても素敵な海外ルーツの女の子がいたんです。ただどこか不慣れな様子だったので、街でスカウトされて来ているのかなと思って、「プロでやっていく気があったら、うちの事務所に聞いてみようか?」と声をかけたんです。そうしたら「私は難民なので働けないんです」と言われて。「難民」と呼ばれる人たちが、仕事を得ながら生活していく権利すら与えられていないことに、当時十代だった私はとてつもない衝撃を受けました。国によって状況はまったく違いますが、日本で難民として暮らす人たちの苦しさを考えるきっかけになりましたね。

——継続的に関わる中で、「難民」という言葉への捉え方に、変化はありましたか。

その後アメリカに渡り、夫やニューヨークという街を通して、本当にいろいろなバックグラウンドの方に出会うようになりました。難民とひと言で言っても状況はさまざまで、その言葉だけでは一括りにできない。では「そうではない側」にいる私たちが、どうすればもっと理解を深められるのか、と考えるようになりました。

——モデル・俳優として異なる文化圏で活動するなかで、日本人であること、アウトサイダーであることを、どう意識してこられましたか。

特にハリウッドで活動していた頃は、「日本人」というステレオタイプをなぞる描かれ方がとても多かったんです。私も知らぬ間に、そのイメージを助長していたのではと思いはじめて、近年その状況が苦しくなってしまって。マイノリティだからこそ、映画やメディアに出るとき、その人の外的な印象が強く残ってしまう。みんなが感じる必要はないと思うのですが、私はそういう責任のようなものをわりと感じてしまうタイプで。

——一人しかアジア人が登場していなければ、そのキャラクターがアジア人の象徴になってしまう、と。

そうですね。リプレゼンテーションがとても大事だと言われているからこそ、間違ったことは伝えたくないし、差別につながるステレオタイプの継承には関わりたくない。だからこそ、当事者性のあるリアルなストーリーが映画という形で広がっていくことには、すごく意味があると思います。

——複数の言語環境で仕事をすることは、ご自身の表現や視点にどんな影響を与えていると思いますか。

言語って、やっぱり面白いなと思うんです。ただ、それだけで人を定義することはできない、とも感じていて。言葉や文化を超えても通じ合う、人と人とのつながりのほうを、むしろ強く望んでいます。昔は、使い慣れていない言語で芝居をするとき、自分の表現がどこか完成しきらないような感覚があったんです。でも決してそんなことはなくて、言葉を超えてにじみ出るものが確実にあり、相手もそれをキャッチできる。そう考えるようになりました。

——濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』も、まさににじみ出るものの交換を描いた物語でしたね。俳優としてキャリアを築くなかで、ご自身で物語を作りたいと思われたきっかけは?

アメリカでステレオタイプなキャスティングが続いていた時期は、ちょうどコロナ禍で、アジア人差別も横行していた頃でした。その流れに加担したくないと決意して、アメリカでの活動に一度線を引き、日本に拠点を移したんです。ただ、自分が日本語で芝居をしている作品があまりない。自分はどういう俳優で、どういった人間なのか。その宣伝用の映像資料として撮ってみよう、という思いから始まりました。

——それが、企画、監督、脚本、出演を自身で手がけた短編『サン・アンド・ムーン』(24)になったわけですね。

そうです。自分のPRから始まったのですが、脚本を書いて、プロダクションを組んで、芝居をしながら演出もして、ということが純粋にすごく楽しくて。東京国際映画祭のAmazon Prime Video テイクワン賞のファイナリスト作品に選出していただいたことなどをきかっけに、ちょっと調子に乗って二作、三作と作ってしまいました(笑)。自分に足りないものがあるなら自分で作らなきゃ、という思いでしたね。ただ、一作目で監督と出演の両立はかなり難しいと感じて。自分で作って出演もしている作品を客観的に見ることが、私はどうしてもできなかったんです。それ以降の製作は、裏方に徹するようにしています。

——DFFも短編というフォーマットですが、短編だからこそ描ける感情やテーマがあると感じることはありますか?

最初は、予算や制作規模の都合で短編を選ぶ監督が多いのかなと思っていたんです。でも2024年の春に、アジアの若い映画作家を集めたワークショップに参加する機会があって。長編をメインに国際的に評価を得ている監督たちも「短編はすごく大切にしている」、「制約が少ないなかで自分のアーティスティックなものを出しやすい」とおっしゃっていて。時に重いテーマでも、尺が短いぶんキュッとフォーカスが集まる。そういった意味でも、いいフォーマットだと思います。

短編映画『マイ・スウィート・パーラ』

——アメリカで暮らすチベット系移民の家族を描いた最新作『マイ・スウィート・パーラ』(25)は、多緒さんのパートナーのご家族やチベット系コミュニティの実話に着想を得た着想を得たそうですが、映画にしようと思った理由とは?

私はずっと、アジア人女性への偏見――「従順で支配しやすい」とか、過剰に性的に描かれるといったものに、目くじらを立てていたんです。圧倒的なマイノリティである立場を、自分のアイデンティティとして掲げて戦わなきゃ、と思っていました。そんなとき、夫の遠い親戚にあたるチベット人のお父さんの話を聞いたんです。彼は娘二人を、さまざまな人種の子どもたちが通う学校に行かせているんですが、彼女たちに白人の友達を家に呼びたいと言われると、「どうしても身構えてしまう」そうなんです。

——お父さんが身構えるんですね。

最初は差別的な言葉を聞いたように思えて、一瞬ドキッとしたんです。ただ彼が続けたのは決してそういうことではなく、私が「有色人種の女性である自分」ばかりにフォーカスしていた一方で、それ以上に声を上げられない人たちがいた、という事実でした。中央アジアや東南アジアにルーツを持ち、自分たちを「ブラウン・アジアン」と呼ぶ人たちの、さらにその中の男性たち。アメリカやヨーロッパでの彼らの立場の低さに、すごく驚いたんですよね。アジア人女性は、いい意味でも悪い意味でも、どこか耳を傾けてもらえる部分がある。でもアジア人男性に対する偏見や蔑視は、まだまだ根強い。アメリカでは「有色人種の人物に何かをされた」と通報された場合、それがどれほど不条理な訴えであったとしても、マイノリティの人々が不利な立場に置かれてしまう事例が珍しくありません。そのお父さんも「ふと目が合った相手から視線をそらしただけで、通報されかねない」と言っていて。危険は起こる手前で排除しておきたいから、娘の友だちがどんなに素敵な子か知っていても、白人の家族とは一定の距離を置きたいんだ、と。私にはこれまで想像できなかった視点だったので、映画を通して伝えたいと思い立ちました。

『マイ・スウィート・パーラ』の制作現場にて

——縁はあっても当事者ではないという立場でチベットの家族の物語を描くことに、戸惑いはありましたか?

ありました。果たして自分が描いていいんだろうか、という迷いは。私はあくまで家族という一番身近なところに当事者がいたまでで、彼らの経験は決して私自身のものではない。でもだからこそ大切にしたのは、実際にチベットのルーツを持つ方々に、参加していただくことでした。プロデューサー、キャストやクルーにもたくさんの方に加わってもらい、映画祭のQ&Aでは彼らの口から語ってもらうよう努めました。当事者の声にしっかりと耳を傾け、敬意を払えているのであれば、誰しも行動に移してもいいのではないかと、自分の中で落とし込みながらやっていましたね。

——この作品では、政治的なテーマだけでなく、家族の記憶や継承、世代間のギャップも描かれています。複数のレイヤーをひとつの物語に込めるうえで、大事にされたことは?

難民の問題もそうですが、その根底にはまず人としての営みがある。家族がいて、みんなで囲む食卓があって。そういう当たり前のことがみんなの共通点だというのを、リマインドしたくて。『マイ・スウィート・パーラ』で描いているのは、宗教への偏見というより、知らないことからくる怖さです。でも知ってしまえば、それはその人たちの習慣であり日々の出来事であって、怖がるものではないとわかる。ただ、お互いに自分の家族を守りたいという意識がある。

——守ろうとするほど、違いを敵視してしまう。

そう、敵になってしまう。だからこそ、日常から馴染んでいく、興味を持って知っていく。それを重ねることが、ゆくゆくは差別を減らしていくことにつながるんじゃないかと思っています。

出演者・制作スタッフたちと

——DFFの取り組みを知って、どんなふうに感じられましたか。

素晴らしいなと思います。母国でキャリアや夢があっても「それどころじゃない」という状況に強いられる方が多いなか、「難民」というレッテルだけで終わらせず、才能を埋もれさせないという意味でも、意義のある取り組みですよね。

——特別上映会では、ハサン・カッタン監督『アライズ・イン・エグザイル/故郷を追われた盟友たち』 』、マリナ・エル・ゴルバチ監督『ローテーション』などが上映されました。特に印象に残ったものは?

私はフィクションに携わることが多いのですが、ハサン監督のドキュメンタリー作品にはパワフルなエネルギーを感じました。特に終盤、アサド政権が崩壊して、ロンドンの亡命希望者施設で「これを誰と一番分かち合いたいですか?」と問われる場面。ファディ・アル・アラビさんが、いまは亡き家族のことを話したあとに微笑むんです。見たことのない笑顔だな、と。あの表情にやられてしまって、ドキュメンタリーの強さを改めて思い知らされました。

——国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使で、DFF共同創設者の一人、ケイト・ブランシェットさんとは2018年のCFDA Awardsで出会われたそうですね。

ニューヨークのファッションイベントで、たまたまディナーのテーブルが一緒になって。当時HBOの『ウエストワールド』に出ていたんですが、ケイトのほうから「見たよ」と言ってくださって。高揚しました。俳優としてはもちろん、慈善活動も率先してされている憧れの存在なんです。私もいつかUNHCRのアンバサダーになるのが夢なので、ここで言っておこうと思います(笑)。

最後に、これからどんな作品に携わっていきたいかを聞かせていただけますか?

今回出演した『急に具合が悪くなる』もそうですが、「自分も社会の一員なんだ」と感じられる作品に、携わり続けられたら。出る側としても作る側としても、難民や社会的弱者、マイノリティなどの問題に携わることができたら、すごく嬉しいなと思っています。

岡本多緒
14歳で日本でモデルデビュー。“TAO”の名義でミラノ・ロンドン・ニューヨークと数々のトップメゾンのショー、雑誌、ワールドキャンペーン広告に多数出演し、トップモデルとして活躍。2013年には、米映画『ウルヴァリン:SAMURAI』でスクリーンデビューを果たし、日本でも大きな話題を呼ぶ。その後もハリウッド作品を中心に、国内外で数々のドラマや話題作に出演。2023年より、拠点を日本に移し“岡本多緒”として活動をスタート。更に同年、自身で初めて企画・監督・脚本・出演を手がけた短編映画『サン・アンド・ムーン』が、第36回 東京国際映画祭 Amazon Prime Video テイクワン賞のファイナリスト作品に選出されるほか、監督最新作『マイ・スウィート・パーラ』が国内外の映画祭で上映中。主演作『急に具合が悪くなる』(25/濱口竜介監督)で第79回カンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した。

「PEACE FOR ALL」とのコラボレーションが決定

ユニクロのチャリティTシャツプロジェクト「PEACE FOR ALL」と「難民映画基金(Displacement Film Fund)」のコラボレーションによるTシャツが2026年6月19日(金)より発売。支援を受ける5名の映画監督が寄せた「平和」をテーマにした言葉をもとに、映画の力で難民の声を世界に届ける想いをデザインで表現しています。 このTシャツの利益は、「Displacement Film Fund(難民映画基金)」へ寄付されます。

PEACE FOR ALL Tシャツ(難民映画基金)

難民映画基金(Displacement Film Fund)」とは

「難民映画基金」は、避難を余儀なくされた映画制作者、または避難民としての経験を描いた実績のある映画制作者の活動を支援・助成するために設立されました。2025年の第54回ロッテルダム国際映画祭(IFFR)において、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使であるケイト・ブランシェット氏が共同設立し、主導するこの基金は、第54回ロッテルダム国際映画祭で発表され、マスターマインド、ユニクロ、ドローム・エン・ダード、タマーファミリー財団、アマホロ連合が創設パートナーとして名を連ねています。ヒューバート・バルス基金を運営パートナー、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を戦略パートナーとし、短編映画への助成制度を開始。さらに、第55回ロッテルダム国際映画祭において、新たな主要パートナーとしてアールティ・ロヒア氏およびSPロヒア財団が加わることが発表されました。両者はパイロットイヤーの成功を受け、同基金への支援を約束しています。
詳しくはこちらから


ロッテルダム映画祭(IFFR)で2025年に創設が発表された「ディスプレイスメント・フィルム・ファンド(難民映画基金/ DFF)」。「ディスプレイスメント(避難・強制移動)」を余儀なくされた、またはその物語に向き合う映画制作者を支援する取り組みで、株式会社ユニクロも創設パートナーとして参画しています。

6月20日「世界難民の日」に先立つ6月18日、「PEACE FOR ALL × 難民映画基金 ショートフィルム特別上映会」が開催されました。トークイベントに登壇した俳優・モデル・映画監督の岡本多緒さんにインタビューを実施。近年は監督として、義母のチベット難民としてのルーツに着想を得た短編『マイ・スウィート・パーラ』を手がけた多緒さんに、「ディスプレイスメント」というテーマとの出会い、そして、俳優、監督として、誰かの居場所となる物語を生み出していくことについて聞きました。

——多緒さんは毎年「難民映画祭」に足を運ばれているそうですが、「ディスプレイスメント」というテーマに関心を持たれたきっかけは?

夫がチベットにルーツを持っていて、彼のお母さんが難民の第一世代なんです。チベットからインドへ渡り、そこからスイスに受け入れられた、という背景を持つ人で。そうした家族と暮らしていくなかで、難民の問題を本当に身近に感じるようになりました。ただ思い返すと、私が初めて難民の方に出会ったのは、実は日本だったんです。

——そうだったんですね。

モデルをしていた頃、地方のヘアショーで、とても素敵な海外ルーツの女の子がいたんです。ただどこか不慣れな様子だったので、街でスカウトされて来ているのかなと思って、「プロでやっていく気があったら、うちの事務所に聞いてみようか?」と声をかけたんです。そうしたら「私は難民なので働けないんです」と言われて。「難民」と呼ばれる人たちが、仕事を得ながら生活していく権利すら与えられていないことに、当時十代だった私はとてつもない衝撃を受けました。国によって状況はまったく違いますが、日本で難民として暮らす人たちの苦しさを考えるきっかけになりましたね。

——継続的に関わる中で、「難民」という言葉への捉え方に、変化はありましたか。

その後アメリカに渡り、夫やニューヨークという街を通して、本当にいろいろなバックグラウンドの方に出会うようになりました。難民とひと言で言っても状況はさまざまで、その言葉だけでは一括りにできない。では「そうではない側」にいる私たちが、どうすればもっと理解を深められるのか、と考えるようになりました。

——モデル・俳優として異なる文化圏で活動するなかで、日本人であること、アウトサイダーであることを、どう意識してこられましたか。

特にハリウッドで活動していた頃は、「日本人」というステレオタイプをなぞる描かれ方がとても多かったんです。私も知らぬ間に、そのイメージを助長していたのではと思いはじめて、近年その状況が苦しくなってしまって。マイノリティだからこそ、映画やメディアに出るとき、その人の外的な印象が強く残ってしまう。みんなが感じる必要はないと思うのですが、私はそういう責任のようなものをわりと感じてしまうタイプで。

——一人しかアジア人が登場していなければ、そのキャラクターがアジア人の象徴になってしまう、と。

そうですね。リプレゼンテーションがとても大事だと言われているからこそ、間違ったことは伝えたくないし、差別につながるステレオタイプの継承には関わりたくない。だからこそ、当事者性のあるリアルなストーリーが映画という形で広がっていくことには、すごく意味があると思います。

——複数の言語環境で仕事をすることは、ご自身の表現や視点にどんな影響を与えていると思いますか。

言語って、やっぱり面白いなと思うんです。ただ、それだけで人を定義することはできない、とも感じていて。言葉や文化を超えても通じ合う、人と人とのつながりのほうを、むしろ強く望んでいます。昔は、使い慣れていない言語で芝居をするとき、自分の表現がどこか完成しきらないような感覚があったんです。でも決してそんなことはなくて、言葉を超えてにじみ出るものが確実にあり、相手もそれをキャッチできる。そう考えるようになりました。

——濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』も、まさににじみ出るものの交換を描いた物語でしたね。俳優としてキャリアを築くなかで、ご自身で物語を作りたいと思われたきっかけは?

アメリカでステレオタイプなキャスティングが続いていた時期は、ちょうどコロナ禍で、アジア人差別も横行していた頃でした。その流れに加担したくないと決意して、アメリカでの活動に一度線を引き、日本に拠点を移したんです。ただ、自分が日本語で芝居をしている作品があまりない。自分はどういう俳優で、どういった人間なのか。その宣伝用の映像資料として撮ってみよう、という思いから始まりました。

——それが、企画、監督、脚本、出演を自身で手がけた短編『サン・アンド・ムーン』(24)になったわけですね。

そうです。自分のPRから始まったのですが、脚本を書いて、プロダクションを組んで、芝居をしながら演出もして、ということが純粋にすごく楽しくて。東京国際映画祭のAmazon Prime Video テイクワン賞のファイナリスト作品に選出していただいたことなどをきかっけに、ちょっと調子に乗って二作、三作と作ってしまいました(笑)。自分に足りないものがあるなら自分で作らなきゃ、という思いでしたね。ただ、一作目で監督と出演の両立はかなり難しいと感じて。自分で作って出演もしている作品を客観的に見ることが、私はどうしてもできなかったんです。それ以降の製作は、裏方に徹するようにしています。

——DFFも短編というフォーマットですが、短編だからこそ描ける感情やテーマがあると感じることはありますか?

最初は、予算や制作規模の都合で短編を選ぶ監督が多いのかなと思っていたんです。でも2024年の春に、アジアの若い映画作家を集めたワークショップに参加する機会があって。長編をメインに国際的に評価を得ている監督たちも「短編はすごく大切にしている」、「制約が少ないなかで自分のアーティスティックなものを出しやすい」とおっしゃっていて。時に重いテーマでも、尺が短いぶんキュッとフォーカスが集まる。そういった意味でも、いいフォーマットだと思います。

短編映画『マイ・スウィート・パーラ』

——アメリカで暮らすチベット系移民の家族を描いた最新作『マイ・スウィート・パーラ』(25)は、多緒さんのパートナーのご家族やチベット系コミュニティの実話に着想を得た着想を得たそうですが、映画にしようと思った理由とは?

私はずっと、アジア人女性への偏見――「従順で支配しやすい」とか、過剰に性的に描かれるといったものに、目くじらを立てていたんです。圧倒的なマイノリティである立場を、自分のアイデンティティとして掲げて戦わなきゃ、と思っていました。そんなとき、夫の遠い親戚にあたるチベット人のお父さんの話を聞いたんです。彼は娘二人を、さまざまな人種の子どもたちが通う学校に行かせているんですが、彼女たちに白人の友達を家に呼びたいと言われると、「どうしても身構えてしまう」そうなんです。

——お父さんが身構えるんですね。

最初は差別的な言葉を聞いたように思えて、一瞬ドキッとしたんです。ただ彼が続けたのは決してそういうことではなく、私が「有色人種の女性である自分」ばかりにフォーカスしていた一方で、それ以上に声を上げられない人たちがいた、という事実でした。中央アジアや東南アジアにルーツを持ち、自分たちを「ブラウン・アジアン」と呼ぶ人たちの、さらにその中の男性たち。アメリカやヨーロッパでの彼らの立場の低さに、すごく驚いたんですよね。アジア人女性は、いい意味でも悪い意味でも、どこか耳を傾けてもらえる部分がある。でもアジア人男性に対する偏見や蔑視は、まだまだ根強い。アメリカでは「有色人種の人物に何かをされた」と通報された場合、それがどれほど不条理な訴えであったとしても、マイノリティの人々が不利な立場に置かれてしまう事例が珍しくありません。そのお父さんも「ふと目が合った相手から視線をそらしただけで、通報されかねない」と言っていて。危険は起こる手前で排除しておきたいから、娘の友だちがどんなに素敵な子か知っていても、白人の家族とは一定の距離を置きたいんだ、と。私にはこれまで想像できなかった視点だったので、映画を通して伝えたいと思い立ちました。

『マイ・スウィート・パーラ』の制作現場にて

——縁はあっても当事者ではないという立場でチベットの家族の物語を描くことに、戸惑いはありましたか?

ありました。果たして自分が描いていいんだろうか、という迷いは。私はあくまで家族という一番身近なところに当事者がいたまでで、彼らの経験は決して私自身のものではない。でもだからこそ大切にしたのは、実際にチベットのルーツを持つ方々に、参加していただくことでした。プロデューサー、キャストやクルーにもたくさんの方に加わってもらい、映画祭のQ&Aでは彼らの口から語ってもらうよう努めました。当事者の声にしっかりと耳を傾け、敬意を払えているのであれば、誰しも行動に移してもいいのではないかと、自分の中で落とし込みながらやっていましたね。

——この作品では、政治的なテーマだけでなく、家族の記憶や継承、世代間のギャップも描かれています。複数のレイヤーをひとつの物語に込めるうえで、大事にされたことは?

難民の問題もそうですが、その根底にはまず人としての営みがある。家族がいて、みんなで囲む食卓があって。そういう当たり前のことがみんなの共通点だというのを、リマインドしたくて。『マイ・スウィート・パーラ』で描いているのは、宗教への偏見というより、知らないことからくる怖さです。でも知ってしまえば、それはその人たちの習慣であり日々の出来事であって、怖がるものではないとわかる。ただ、お互いに自分の家族を守りたいという意識がある。

——守ろうとするほど、違いを敵視してしまう。

そう、敵になってしまう。だからこそ、日常から馴染んでいく、興味を持って知っていく。それを重ねることが、ゆくゆくは差別を減らしていくことにつながるんじゃないかと思っています。

出演者・制作スタッフたちと

——DFFの取り組みを知って、どんなふうに感じられましたか。

素晴らしいなと思います。母国でキャリアや夢があっても「それどころじゃない」という状況に強いられる方が多いなか、「難民」というレッテルだけで終わらせず、才能を埋もれさせないという意味でも、意義のある取り組みですよね。

——特別上映会では、ハサン・カッタン監督『アライズ・イン・エグザイル/故郷を追われた盟友たち』 』、マリナ・エル・ゴルバチ監督『ローテーション』などが上映されました。特に印象に残ったものは?

私はフィクションに携わることが多いのですが、ハサン監督のドキュメンタリー作品にはパワフルなエネルギーを感じました。特に終盤、アサド政権が崩壊して、ロンドンの亡命希望者施設で「これを誰と一番分かち合いたいですか?」と問われる場面。ファディ・アル・アラビさんが、いまは亡き家族のことを話したあとに微笑むんです。見たことのない笑顔だな、と。あの表情にやられてしまって、ドキュメンタリーの強さを改めて思い知らされました。

——国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使で、DFF共同創設者の一人、ケイト・ブランシェットさんとは2018年のCFDA Awardsで出会われたそうですね。

ニューヨークのファッションイベントで、たまたまディナーのテーブルが一緒になって。当時HBOの『ウエストワールド』に出ていたんですが、ケイトのほうから「見たよ」と言ってくださって。高揚しました。俳優としてはもちろん、慈善活動も率先してされている憧れの存在なんです。私もいつかUNHCRのアンバサダーになるのが夢なので、ここで言っておこうと思います(笑)。

最後に、これからどんな作品に携わっていきたいかを聞かせていただけますか?

今回出演した『急に具合が悪くなる』もそうですが、「自分も社会の一員なんだ」と感じられる作品に、携わり続けられたら。出る側としても作る側としても、難民や社会的弱者、マイノリティなどの問題に携わることができたら、すごく嬉しいなと思っています。

岡本多緒
14歳で日本でモデルデビュー。“TAO”の名義でミラノ・ロンドン・ニューヨークと数々のトップメゾンのショー、雑誌、ワールドキャンペーン広告に多数出演し、トップモデルとして活躍。2013年には、米映画『ウルヴァリン:SAMURAI』でスクリーンデビューを果たし、日本でも大きな話題を呼ぶ。その後もハリウッド作品を中心に、国内外で数々のドラマや話題作に出演。2023年より、拠点を日本に移し“岡本多緒”として活動をスタート。更に同年、自身で初めて企画・監督・脚本・出演を手がけた短編映画『サン・アンド・ムーン』が、第36回 東京国際映画祭 Amazon Prime Video テイクワン賞のファイナリスト作品に選出されるほか、監督最新作『マイ・スウィート・パーラ』が国内外の映画祭で上映中。主演作『急に具合が悪くなる』(25/濱口竜介監督)で第79回カンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した。

「PEACE FOR ALL」とのコラボレーションが決定

ユニクロのチャリティTシャツプロジェクト「PEACE FOR ALL」と「難民映画基金(Displacement Film Fund)」のコラボレーションによるTシャツが2026年6月19日(金)より発売。支援を受ける5名の映画監督が寄せた「平和」をテーマにした言葉をもとに、映画の力で難民の声を世界に届ける想いをデザインで表現しています。 このTシャツの利益は、「Displacement Film Fund(難民映画基金)」へ寄付されます。

PEACE FOR ALL Tシャツ(難民映画基金)

難民映画基金(Displacement Film Fund)」とは

「難民映画基金」は、避難を余儀なくされた映画制作者、または避難民としての経験を描いた実績のある映画制作者の活動を支援・助成するために設立されました。2025年の第54回ロッテルダム国際映画祭(IFFR)において、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使であるケイト・ブランシェット氏が共同設立し、主導するこの基金は、第54回ロッテルダム国際映画祭で発表され、マスターマインド、ユニクロ、ドローム・エン・ダード、タマーファミリー財団、アマホロ連合が創設パートナーとして名を連ねています。ヒューバート・バルス基金を運営パートナー、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を戦略パートナーとし、短編映画への助成制度を開始。さらに、第55回ロッテルダム国際映画祭において、新たな主要パートナーとしてアールティ・ロヒア氏およびSPロヒア財団が加わることが発表されました。両者はパイロットイヤーの成功を受け、同基金への支援を約束しています。
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