プレスリリース

2006年10月05日

BACKSTAGE REPORT ユニクロ ソーホー ニューヨーク店 ワンダーウォール 片山正通 ~「考える人」2006年秋号~

~「考える人」2006年秋号(新潮社)より転載~

超合理性のテーマをかたちにするまで

グローバル旗艦店

ユニクロ ソーホー ニューヨーク店

片山 正通 ワンダーウォール  (Katayama Masamichi)

20061004_5.jpg 雑誌の企画で、ある施設について対談してくれませんかと依頼が来たんです。とにかく忙しい時期だったので迷ったのですが、対談の相手が佐藤可士和さんだと聞いて、ぜひお会いしたいと思ったんです。可士和さんの仕事にはいつも目を瞠らされてましたから。

 新商品はもちろん、企業や組織の新しい方向性まで大胆にディレクションされていて、多くの人々の注目を集める。グラフィックの実作業では細心に、慎重にディテールを詰めてゆく。そういうアートディレクターはいそうでいて、なかなかいないと思います。

 ぼくのインテリア・デザインの仕事はこれまで限られたコアな人たちを相手にする世界での引き合いが多かったんです。しかもそういう仕事が好きでしたから、可士和さんのマス・マーケットを相手にする仕事を遠くから見ていて、凄いな、面白いな、と思っていました。だからお会いするのが楽しみでした。

 ところが雑誌の対談の一週間ぐらい前、可士和さんから電話がかかってきたんですよ。ずいぶん丁寧な方だな、さすがだなと思ったらそうではなくて、対談の前に別の仕事で相談したいことがあると。それがユニクロ ソーホー ニューヨーク店の店舗デザインの話でした。

 電話でついついスケジュールを聞いちゃったんですね。オープンは今年の秋らしい。いやあ、普通だったらあり得ないスケジュール、だと思いました(笑)。あまりにも時間がない。それに大きな仕事だというのが痛いほどわかりましたから、中途半端な仕事は絶対したくない。だから失礼がないようにお会いして、丁重にお断りしなければと思って、可士和さんの事務所「サムライ」に出向いたわけです。

 ところが可士和さんのユニクロ ソーホー ニューヨーク店に対する気持ちや判断、ユニクロ・サイドの考え方や取り組みの姿勢を説明する言葉が、お断りしようとする私に一ミリの隙も与えないほどノンストップで続きまして、それがまた実に明快で、力強くて、ユニクロが何を考え、可士和さんが何をしようと企んでいるのかがはっきり見えてくる、目の前にブワーっとビルが建つように。こうなれば、男だったら受けざるを得ない。気がついたらぼくも頭はチョンマゲ、腰には刀です(笑)。

 数週間後には可士和さんと一緒にニューヨークに行き、現場を見ていました。

最短でプレゼンテーション

 ソーホーでは二年前に仕事をしたことがあるんですが、ここは百年ぐらい前の建物が並んでいる歴史的街並み保存地区なんですね。景観保存のルールがとても厳しい。ランドマーク保存委員会に計画を申請して許可が下りないと工事も始まりませんし、場合によっては地域住民が参加する公聴会でプランが承認されなければならない。現場での施工業者とのやりとりも日本とはだいぶ違う。難しい局面が次々と現れるんです。そのときの大変さというのは、説明し始めたら二時間も三時間もかかってしまう(笑)。

 それでも、というか、だからこそというか、ソーホーの独特のムードが好きなんですね。景観保存のルールが厳しいということは、伝統がよく保存されているということですから、真新しいコンテンポラリーなものをつくるとき、伝統とせめぎ合って、かえって面白いものができるんです。日本はビルが新しいでしょう? だからわざわざ壁に古いタイルを貼って、その上に新しいガラスを入れるとか、同じ状況を生み出すためにはそういう二度手間の作業が必要になる。ところが歴史が残るソーホーなら、そのまま絵になるんです。古いからこそ腕のふるいようがある。パリやロンドンだって古い街並みを頑ななまでに保存しています。日本の都市は伝統や歴史にあまりにも無頓着なんじゃないかと思いますね。

 それから建物のスケール感。天井高が六メートル近くもある。日本だったらこれを二層に分けて使おうとするでしょう。しかもそれが千坪あるわけですから、現場を見て唖然としたのと同時に、頭のなかにワーッとイメージが湧いてくるのがわかりました。可士和さんとは現場でいろいろと話し込みましたね。

 帰国してすぐ仕事にとりかかりました。最短で最初の模型をつくってプレゼンテーションしました。プランに迷いはありませんでしたし、そもそも早くやらなければ、スケジュールを考えると絶対間に合わない(笑)。

 店全体の考え方としては、可士和さんが提示された「美意識ある超合理性」がテーマです。いままでのユニクロの一番いいところを整理整頓して、徹底的にピカピカに磨き上げて、ニューヨークのソーホーに差し出す、ということですね。だから店自体も思い切ったことをずいぶんやっています。

 全体で言えば、スケール感です。このソーホーらしい空間の、特別な広さや高さを損なわず、それを強調したい。どうしてもやりたかったのは、ダイナミックな三層分の吹き抜けをつくることでした。これはうまくいったと思います。さらに言うと、その三層を昇ってゆくエスカレーターを最初はフロアの中央部に用意していたんですが、広さの具合もあってなんだかデパートみたいな普通の感じになってしまう。そこがちょっと悩ましかったんですが、柳井さんと話したら「エスカレーターはなくてもいいんじゃないですか」と平然とおっしゃる。「構造より商品が目立たなくては」と。普通は「これはあったほうがいい」という注文が細かくついて、注文に比例して空間がどんどん面白くなくなっていくんです。ところがこの規模のものにしてはジャッジが大胆なんです。無難なほうに傾かない。20061004_6.jpg迷ったり、もうちょっと考えさせてくれって言われるのではなく、その場でパッと判断して結論を出されるんです。だから仕事が動きだすととんとん拍子で話が進んでいく。まさに超合理性なんですね。

 大胆とはいっても、ユニクロらしさは失いたくなかった。もったいぶらずに商品をきっちりと見せる感じはここでもキープしたい。ユニクロの商品が持っている力を装飾っぽいものでぼやかしてしまうのではなくて、商品の実力をシンプルに引き出す、ということですね。不要なにぎやかしはやめようと。クリエイティブディレクションと同時にグラフィックも担当している可士和さんが「グラフィックはやめようよ」と同意するんですからちょっと可笑しいでしょう? そのかわりと言ってはなんですが、棚につけるネームプレートとかプライスのタグとかも棚に同化させるデザインにしたり、Tシャツを入れるカゴはどんなデザインにしようとか、傘立てだっておろそかにできないとか、コンセプトに合わないグラフィックを控える一方、いかにすっきりとさせるかについては本当に細かく相談しています。ひとつでも詰めが甘いと空間全体のゆるみに繋がってしまいますから。

買い物が楽しい

 もうひとつ大事にしたかったのは、あの店に行って買い物をするのが楽しいと思われることですね。最終的には片山正通がデザインしたかどうかなんて、どうでもいいんです。お客さんがいっぱい来てくれて、なんかこの店楽しいな、と思ってくれるのが一番大事。たとえば、ギミックの一つとして入口に光るショーケースを作り、回転するマネキンを三十体も並べています。表現の仕方にしても、茶室的な和風っぽい日本ではなく、僕たちが面白いと思うことを素直に表現しようと思ったのです。それは逆説的に日本を感じさせる事にもなると思っています。

 このようにソーホーに立ち並ぶ他の店では見たことのないものを用意して、楽しんでもらい、次もまた来てみようと思ってほしい。ぼく自身が買い物好きだから、その気持ちでつくっています。

 床はフローリングですけど、欧米のフローリングとはひと味違う日本的な木材を選びました。空間の組み立て方も、ある種の「間」のようなものを意識しています。20061004_7.jpgこの店の隣近所はブランドショップの目抜き通りなので、普通だったらショーウィンドウにシーズン毎に派手な飾り立てをして人目を惹こうとするわけですが、ここでは敢えて素っ気なくして、しかし店全体が奥のほうまで見渡せるようにし、思わず覗き込んでみたくなるような、奥にグーンと引き込む力を発揮させています。これも日本的といえば日本的かもしれない。上手に引き算をしていくことで、この通りのなかで結果的にいちばん目立つ店になるようなディレクションをしたつもりです。

家具屋の息子として

 ぼくは岡山県生まれなんですけど、家具屋の息子なんです。中学までは野球ばっかりで、野球選手になるのが夢でした。バッティングは大好きだったんですけどね、望んだわけではなくてやらされたキャッチャーが大嫌いで(笑)。それに昔の野球部ですから先輩から喰らうケツバットも痛いし、汗をかきまくっても「水のむな!」だし、野球は好きなのに、こんなつらいことが他にあるかという日々でしたね。そして隣の中学の野球部にすごい才能のある奴がいたんです。もうこれはかなわないって思うような。ああ俺は無理だと、ヤツと較べたらどう考えてもオレは下だ、と思い知らされた。野球選手の夢は中学で終わりです。

 次にはまったのがパンク・ロック。ベースを担当して今度は「ミュージシャンになりたい」って思った。そんな姿をずっと見ていた親父が「俺の店を継げばいい。だからインテリアを大阪で勉強してこい」と言ってきたわけです。大阪はパンクの本場だったし、親元から離れられるし、レコードもいっぱい買える(笑)。ちょうどいいと思ってインテリアの専門学校に行くことになった。そのうちに世の中はなんとなくバブルになって、DCブランドが流行し始めて、そういうファッションのブティックにはまってしまった。そして、こういう空間をつくる仕事があるんだなあ、と思ったわけです。だからなんとなく流れてたどりついただけで、自分から選んで自分で決めた進路だとはとてもいえない。今思えば、親父に感謝ですね。独立したのが九二年でバブルのはじけた後ですから仕事なんて数えるほどしか無かった。

20061004_9.jpg ただ、今思えば、ほいほいと仕事が来るようなタイミングでなくて良かったと思いますね。オリジナルなものをつくるというのはこんなに難しいのか、と悩む時間ができたし、素材ひとつ決めるのにもぐずぐず悩む時間もあった。今でもね、実は悩むんです。そのブランドやクライアントにとってベストの答えがだせているのかどうかは最後の最後まで悩み通します。それは、プロとして当然のことだと思っています。

 そしてやはりお店にはお客さんが入っているかどうかがとても気になります。お店ができたら自分の仕事はおしまいではなくて、その後に千客万来になったかどうかまで、いつも見届けてます。ニューヨークもオープンした後までぼくの仕事は続くと思っています。

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2006年秋にニューヨーク、ソーホーに新たな旗艦店をオープンすることは、世界を代表する大都市で、世界中のお客様にユニクロの良さを直接体感していただくことの出来る、ベストな方法だと考えています。昨年秋の銀座店のオープンから一年、今私たちに出来るすべてを注ぎ込み、さらに進化した新たなユニクロで、世界のお客様に最高のお買い物をしていただけるお店を目指します。このソーホー ニューヨーク店は世界のユニクロを代表する「グローバル旗艦店」となります。今後のユニクロ事業の成長エンジンとなるユニクロ ソーホー ニューヨーク店にご期待下さい。

*ユニクロ ソーホー ニューヨーク店のホームページはこちらからご覧下さい。

「考える人」2006年秋号

(文/取材:新潮社編集部、撮影:菅野健児)

詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。