INDIA

INTRODUCTION

2017.02 インドの難民に衣料寄贈と自立支援を。
難民の人たちの経済的・社会的自立をサポートしています。

インドには約20万人の難民が避難生活を送っています。
この国に難民キャンプはなく、都市難民として一般市民と同様に都市で働いて自分で生計を立てていかなくてはなりません。
ファーストリテイリングは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じて、インドの難民に全商品リサイクル活動
お客様からお預かりした衣料を寄贈するだけではなく、UNHCRが実施する職業訓練や仕事の紹介などの自立支援プロジェクトへの援助も行っています。
今回はフォトジャーナリストの安田菜津紀氏とともに、自立に向け奮闘する難民たちの生活をご紹介します。

2017.02 インドの難民に
衣料寄贈と自立支援を。
難民の人たちの経済的・社会的自立を
サポートしています。

インドには約20万人の難民が避難生活を送っています。
この国に難民キャンプはなく、都市難民として一般市民と同様に都市で働いて自分で生計を立てていかなくてはなりません。
ファーストリテイリングは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じて、インドの難民に全商品リサイクル活動でお客様からお預かりした衣料を寄贈するだけではなく、UNHCRが実施する職業訓練や仕事の紹介などの自立支援プロジェクトへの援助も行っています。
今回はフォトジャーナリストの安田菜津紀氏とともに、自立に向け奮闘する難民たちの生活をご紹介します。

ESSAY

「私たちのこと、忘れないで」。そうつぶやくおばあちゃんの瞳を、私は思わずまた覗き込んだ。故郷への想い、迫害の記憶、異国の地での戸惑い、あらゆる感情がおばあちゃんの目からあふれ出し、あとは言葉にならなかった。いつか故郷でもう一度、安心して暮らせる日が来るように。そう願いを込めてシャッターを切った。

  • ©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE
  • インド渡航はこれで三度目、けれども難民として逃れてきている人々と向き合うのはこれが初めてだった。街の明かりを覆うほどの砂埃や煙、せわしなく行きかう人々と響き渡る露店のかけ声。あらゆるエネルギーが交差する首都、デリーの街で、彼らはどんな生活を送っているのだろう。

    インドにはすでに20万人もの人々が、故郷での戦闘や命の危険から逃れ身を寄せていた。ミャンマーやアフガニスタンのように地理的に近い国もあれば、ソマリアやスーダン、シリアのようにビザを頼りにこの遠い地を目指してくる人々もいる。

  • ©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE
  • 「私の国では女性が外に出て働く、ということは殆どないんです」。そう語るのはアフガニスタン出身のレイラさん(22)。2015年9月にインドに逃れ、今は弟、妹を学校に送るために中東料理店のレジに立つ毎日だ。家から離れた場所に通うだけでもまるで冒険のよう、差別や偏見の目に直面することもある。イスラム圏からやってきた女性たちの困難を、レイラさんだけではなく、滞在中ほかの女性たちからも度々耳にすることになった。インドは難民たちの労働に対して、比較的寛容な政策を続けてきた。ローカルNGOも職業訓練や収入向上のために日々奔走を続けている。それでも異なる文化圏から集まってくる人々が、すぐに自らの道を切り開けるわけではない。異国の地で生き抜くのは、故郷で直面してきた過酷な現実とは、また違った困難と向き合うことでもあった。

    「この国では確かに安全を得られます。でも…」少し間を置いて、懐かしむようにレイラさんはまた語りだす。「この国では、故郷で見えていたような星空が見えないんです」。情勢が悪化する前の彼女の村は、どれほど美しい場所だったのだろうか。

    快活で笑顔を絶やさないレイラさんも、自身の村や家族の話になると、とたんにその顔が曇る。慕っていたお兄さんの行方が、1年半経つ今もつかめていないのだ。インドに逃れてきてもなお、故郷での厳しい現実が大きく変わるわけではない。そんな祖国を思う気持ちを心の内に押し込め、言語も文化も違う社会に飛び込んでいかなければならないのだ。

  • ©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE
  • それでも店頭に立ち、接客する彼女の顔は、どこか凛とし、生き生きとしていた。レイラさんだけではなく、滞在中には刺繍の仕事に就いたロヒンギャの女性たち、名の知れた靴の店でオープニングスタッフを務めるアフガニスタン人の若者たち、干し魚を輸出するビジネスを立ち上げたチン族のご家族にも出会うことができた。「こうしてこの国で技術を得たからこそ、今後どこで暮らすことになっても生活ができます」。美容師を目指すチン族の女性が誇らし気に語ってくれた。「働く」ということは、単に収入を得るだけのものではなく、自尊心を育み、社会に居場所を見出すためのものでもあった。「日本の企業でも働いてみたい」。そんな声をかけられることも少なくなかった。

    難民問題、と聞けば、私たちは中東やアフリカといった、日本から遠い地で起きていることのように捉えがちかもしれない。けれども、すぐ隣のアジアの国々でも、ひっそりと、終わりの見えない避難生活を送る人々がいる。どこか遠くではなく、同じ社会で起きていることだという想像力さえあれば、私たちにできることは、今以上にあるはずだ。「忘れないで」という彼女の言葉に、私たちはどう、応えていけるだろうか。

「私たちのこと、忘れないで」。そうつぶやくおばあちゃんの瞳を、私は思わずまた覗き込んだ。故郷への想い、迫害の記憶、異国の地での戸惑い、あらゆる感情がおばあちゃんの目からあふれ出し、あとは言葉にならなかった。いつか故郷でもう一度、安心して暮らせる日が来るように。そう願いを込めてシャッターを切った。

©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE

インド渡航はこれで三度目、けれども難民として逃れてきている人々と向き合うのはこれが初めてだった。街の明かりを覆うほどの砂埃や煙、せわしなく行きかう人々と響き渡る露店のかけ声。あらゆるエネルギーが交差する首都、デリーの街で、彼らはどんな生活を送っているのだろう。

インドにはすでに20万人もの人々が、故郷での戦闘や命の危険から逃れ身を寄せていた。ミャンマーやアフガニスタンのように地理的に近い国もあれば、ソマリアやスーダン、シリアのようにビザを頼りにこの遠い地を目指してくる人々もいる。

©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE

「私の国では女性が外に出て働く、ということは殆どないんです」。そう語るのはアフガニスタン出身のレイラさん(22)。2015年9月にインドに逃れ、今は弟、妹を学校に送るために中東料理店のレジに立つ毎日だ。家から離れた場所に通うだけでもまるで冒険のよう、差別や偏見の目に直面することもある。イスラム圏からやってきた女性たちの困難を、レイラさんだけではなく、滞在中ほかの女性たちからも度々耳にすることになった。インドは難民たちの労働に対して、比較的寛容な政策を続けてきた。ローカルNGOも職業訓練や収入向上のために日々奔走を続けている。それでも異なる文化圏から集まってくる人々が、すぐに自らの道を切り開けるわけではない。異国の地で生き抜くのは、故郷で直面してきた過酷な現実とは、また違った困難と向き合うことでもあった。

「この国では確かに安全を得られます。でも…」少し間を置いて、懐かしむようにレイラさんはまた語りだす。「この国では、故郷で見えていたような星空が見えないんです」。情勢が悪化する前の彼女の村は、どれほど美しい場所だったのだろうか。

快活で笑顔を絶やさないレイラさんも、自身の村や家族の話になると、とたんにその顔が曇る。慕っていたお兄さんの行方が、1年半経つ今もつかめていないのだ。インドに逃れてきてもなお、故郷での厳しい現実が大きく変わるわけではない。そんな祖国を思う気持ちを心の内に押し込め、言語も文化も違う社会に飛び込んでいかなければならないのだ。

©Natsuki Yasuda / studioAFTERMODE

それでも店頭に立ち、接客する彼女の顔は、どこか凛とし、生き生きとしていた。レイラさんだけではなく、滞在中には刺繍の仕事に就いたロヒンギャの女性たち、名の知れた靴の店でオープニングスタッフを務めるアフガニスタン人の若者たち、干し魚を輸出するビジネスを立ち上げたチン族のご家族にも出会うことができた。「こうしてこの国で技術を得たからこそ、今後どこで暮らすことになっても生活ができます」。美容師を目指すチン族の女性が誇らし気に語ってくれた。「働く」ということは、単に収入を得るだけのものではなく、自尊心を育み、社会に居場所を見出すためのものでもあった。「日本の企業でも働いてみたい」。そんな声をかけられることも少なくなかった。

難民問題、と聞けば、私たちは中東やアフリカといった、日本から遠い地で起きていることのように捉えがちかもしれない。けれども、すぐ隣のアジアの国々でも、ひっそりと、終わりの見えない避難生活を送る人々がいる。どこか遠くではなく、同じ社会で起きていることだという想像力さえあれば、私たちにできることは、今以上にあるはずだ。「忘れないで」という彼女の言葉に、私たちはどう、応えていけるだろうか。

PHOTO GALLERY

  • 11月に寄贈された34,000着の衣料のうちの一部が、一人一人に手渡されていった。

  • 今回寄贈された衣料をお渡ししたのは、ミャンマーから逃れてきたチン族の方々。
    お年寄りから子どもたちまで、この日世代を超えて集ってくれた。

  • インドで需要が高い刺繍を学ぶロヒンギャの女性たち。
    職を得る場でもあり、お母さんたちが集える貴重な場でもある。

  • グローバル展開する靴屋で働くアフガニスタン出身の青年。
    英語を駆使し、接客中も笑顔を絶やさない。

  • 暮らしているアパートの屋上スペースを活かし、干し魚を輸出するビジネスを立ち上げたチン族のご家族。

  • 女性たちが提供してくれたアフガニスタン料理。
    自宅で料理を作って持ち寄る形をとっているため、長時間外出する負担がなく収入を得ることができる。

  • デリー市内の路地裏には、込み入った住宅街や商店街が広がっている。
    こうした街の一角のアパートなどに、難民のご家族が身を寄せている。

PROFILE

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。