マジック フォー オール10周年を祝って。ディズニーに魅せられたアーティストたち
Aug 07, 2025
UT
ディズニーとユニクロの協業プロジェクト「Magic For All」が今年で10周年を迎える。これを記念して、過去の人気コレクションが待望の復刻!ディズニーキャラクターたちと祝う「Timeless Collection」、注目のアーティストたちと祝う「Disney Art」、ミッキーマウスのぬいぐるみが再登場する「Mickey Mouse Toy」など、特別な企画が盛りだくさん。今回は「Disney Art」で再びタッグを組んだ唯一無二のアーティストたちにインタビュー。彼らがあらためて語る“ディズニーの魅力”とは。
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Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーを“モダニスト”として捉える視点に興味があります。特に初期のキャラクターは「形態は機能に従う」というモダニズムの精神を体現していると思うからです。そういったモダニズムの理想は、私自身の作品づくりにおいても常に重要な考え方となっています。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
オリジナルキャラクターの本質に寄り添いながらも同時に、私自身のドローイングの手法や考え方を表現したいと思っていました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
すべてのコラボレーションに共通する課題ですが、自分らしい表現でありながらクライアントの要望も満たす─そのバランスを取ることが最大のチャレンジでした。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
ユニクロがこのデザインを再び採用してくれたことに、作品が評価されたという喜びを感じています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
ユニクロのTシャツのために描いた当時は「ドローイングを洗練された一連の所作として捉える」という考えに興味を持っていました。ただ、その所作が繰り返されていくと、次第に描線のオリジナリティが失われていく感覚もありました。最近では、日本の“ヘタウマ”というアートのムーブメントにインスパイアされながら、より無意識的に描くためのアプローチを模索しています。
Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーがこれまで守ってきた価値観やファンの気持ちを大切にしながら、常に進化し続けているところが本当に素晴らしいと思います。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
私なりのスタイルでミッキーマウスを描いてみたいと思いました。リラックスしていて、幸せそうな表情にしたかったんです。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
自分らしいタッチで描きながらもミッキーらしさを失わないようにするのは難しかった。でも、最終的にはすごく楽しく描けたので、その楽しさが伝わるとうれしいです。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
本当に光栄ですし、うれしい気持ちでいっぱいです。自分の作品がもう一度世界中の人に届くなんて、本当に感激しています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
いくつかの魅力的な商業プロジェクトに取り組みながら、個人的な絵画作品の制作も並行して行っています。
Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーのキャラクターは性格だけでなく、線の描き方や色使いまで、そのスタイルが文化の中に深く根付いていると感じます。常にハイクオリティな基準を持ち続けているところにも惹かれます。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
グラフィックというよりも、もっと絵画的で柔らかくて表情豊かなアプローチにしたいと考えていました。特にドナルドダックのようなキャラクターにはそうした表現が合うと思ったんです。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
キャラクターの本質を損なわないように、手を加えすぎないことがいちばん大事でした。それ以外は、純粋に楽しんで制作できたと思います。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
とてもうれしいですね。より多くの人たちにこの作品を見てもらえることが、何よりの喜びです。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
最近はイラストよりもディレクションに取り組むことが増えてきましたが、それと並行して新しいペインティングシリーズも始めました。ドローイングとペインティング、その両方があることで自分のバランスが保たれている気がします。
Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
特別な理由はありませんが、子どもと一緒にピクサー制作の『トイ・ストーリー4』を見ていた時に出てきたデューク・カブーン(カナダ出身のバイクスタントマンのおもちゃ)が好きですね。声がキアヌ・リーブスという点もポイント高いです。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
ディズニーもユニクロも知らない人がいないほど知名度の高いブランドですが、張り切り過ぎないようにいつもの感覚で取り組みました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
苦労せず、楽しみながら取り組めました。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
世界中と考えるとあらためてすごいことで、参加できて素直にうれしいですね。
Q. 現在の活動についても教えてください。
手描き看板の仕事はもちろん、パッケージデザインやロゴデザインなど幅広くお仕事させていただいています。
漫画家・赤塚不二夫の長女で、赤塚が設立したフジオ・プロダクションの代表取締役社長を務める赤塚りえ子が答えてくれた。
Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
作品名は忘れましたが、小さいときに母に連れられて、大きな映画館で最初に観た映画がディズニー作品だったと記憶しています。 赤塚マンガのキャラクターたちと一緒に育った私にとっても、特にミッキーマウスは小さいころからの身近な存在です。シンプルな色使いやラインで表現されたミッキーマウスは、これからも時代を超えて永遠に生き続ける愛らしいキャラクターだと思います。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
生前、父、赤塚不二夫は、日本のディズニーランドの年間パスを持ち、映画『ファンタジア』を絶賛していました。ディズニーをこよなく愛する父もきっと喜んでくれただろうデザインに、そして、ディズニーのキャラクターの可愛さと赤塚タッチ、2つの特徴をバランスよくミックスしたデザインにしたいと思いました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
赤塚不二夫の特徴でもあるデフォルメタッチはディズニーキャラクターとの親和性が高く、当社スタッフによる作画作業は簡単かと思いましたが、実際は逆で、赤塚タッチをいかに反映させるかという点に苦心しました。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
私もとても気に入っているデザインなので、復刻されることはとてもうれしいですし、世界中で誰かが気に入って着てくださることを思うとワクワクします。 毎年夏の時期にイギリスに行くので、どこかの道でこのTシャツに出会えることを願っています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
2025年は赤塚不二夫が生誕90周年を迎える年なので、赤塚らしい賑やかなイベント開催に向けて現在準備を進めています。発表の時期が来ましたら赤塚不二夫公認サイト「これでいいのだ‼」でお知らせいたします。 あと、今年9月にディズニーの故郷アメリカで、「Art of MANGA」というマンガ展が、サンフランシスコにある「デ・ヤング美術館」で開催されます。この展覧会に赤塚不二夫も参加します。
マンガ家・手塚治虫がディズニーから大きな影響を受けていたことは有名なお話。自らもディズニーのようなアニメーション映画を作りたいという思いからアニメ会社を設立、国産初の長編連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を生み出した。そんな手塚が「心の師」と仰いだのがディズニーの創業者ウォルト・ディズニー。ここでは手塚がウォルトについて描いたマンガや文章を収録した書籍『ウォルト・ディズニー物語』(現在は絶版)から一部を抜粋して紹介。
「ディズニーに惹かれ、魅せられ、ディズニーによって人生を決められてしまったひとりの男がここにいる。
小学校二年生のとき、ぼくはマンガ映画大会ではじめてミッキーマウスに対面した。そしてパテー・ベビーという古めかしい家庭用映写機を父が買ってきて、フィルムの何本かを揃えたとき、そのうちの一本は『ミッキーの突進列車』であった。その時点でディズニーは、すでにぼくとは切れぬ鎖でつながっていた。子ども心に、ディズニーはぼく達の味方だと思った。
子どもが大人に説明してもわかってもらえない子どもの世界のあるものを、ディズニーは知っていると思った。それは、ものわかりのよい教師に対して、生徒がこの先生は仲間だ! と感じるあの親近感である。おそらく世界中の子ども達が、同様の直感で彼をうけいれたにちがいない」
(朝日ジャーナル 1973年6月15日号 p.69)
「ディズニーに傾倒してからというものは、俄然、このぬいぐるみスタイルを必死になって模写し修得して、とうとういまの画風になってしまった。正直いって、ぼくの画風からは八方破れ的な冒険はのぞめない。丸まっちいかわいらしさに、がんじがらめになってしまっているのだ」
(朝日ジャーナル 1973年6月15日号 p.71)
「で、その本を買ってもらって夢中になって模写したのが、ぼくをマンガ家に志させるきっかけになった訳。だからぼくは黒眼だけのミッキーなら眼をつむっても描ける。ところでミッキーの二つの耳が、ミッキーがどんな向きに向いても絶対に重なって一つにならない、ということを知ったのはすこしあとである。
影響というのはおそろしいものだ。アトムの二つのとがった髪の毛は、アトムがどう向いても重なり合わない。つねに二本である。だからまあいうなれば、アトムはミッキーの血をかなり継いだ甥っ子みたいなものである」
(キネマ旬報 1988年11月下旬号p.94)
「ディズニーに遇(あ)ったのは彼の死の前々年の一九六四年である。遇(あ)ったとはいっても、ほんの1分足らずの立ち話だったのだが、あの機会がなければ私にとって生涯の心の師である彼は遂に雲の上の存在で終わってしまったであろう。白髪まじりで皺のきざまれた、いくぶん猫背になったこの老いたカリスマは、私の手を固く握ってくれた。
(中略)
私のディズニーへの思い入れは、私の絵を見ていただければ、それでもういまさら述べる必要もない。現在、私は『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』などの初期の長篇といくつかの短篇フィルムを研究資料として持っているが、四十年も昔の作品と知りつつこれを繰り返し映して眺め、彼の偉大さにため息をつくのである」
(爽135号 1981年12月1日発行p.88)
「かれ(ウォルト・ディズニー)は台上から五百人ほどの観衆に、あいさつをした。そのときの観衆の熱狂ぶりは、想像以上にたいへんなものだった。そして、かれのあいさつの一言一句に、耳を傾ける老人や、若者や、子どもや、幼児達の目ときたら! あのキラキラ輝いて、尊敬と、期待と、感謝とにあふれた何百の目!
(中略)
あのどの世代もが、ディズニーの主人公達を笑い、娯(たの)しみ、愛して暮らしてきたのだ」
(文藝春秋 1967年5月号 p.79)
「アニメーションとは『動画』という意味にとられているが、本来はアニミズム、つまり、生なきものを、生あるがごとくに見せる方法そのものをいうのである。
人間は、幼いときから死ぬまで、いろいろな夢をもっている。空をとびたいとか、変身してみたいとかの夢はだれもがいちどはもったことがあろう。それらのなかで、山や川やイスや机や、花や鳥やけもの達と話がしたい。かれらが人間のように動いたらどんなに娯(たの)しいだろうなどという夢も、きっと古今東西を通じて同じにちがいない。
ディズニーは本質的に、この夢の追求者だったと思うのだ」
(文藝春秋 1967年5月号 p.80〜81)
商品の詳しい情報など満載のマジック フォー オール10周年特別サイトはこちら
https://www.uniqlo.com/jp/ja/special-feature/ut/magic-for-all
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James Jarvis
“ヘタウマ”にインスパイアされて制作中Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーを“モダニスト”として捉える視点に興味があります。特に初期のキャラクターは「形態は機能に従う」というモダニズムの精神を体現していると思うからです。そういったモダニズムの理想は、私自身の作品づくりにおいても常に重要な考え方となっています。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
オリジナルキャラクターの本質に寄り添いながらも同時に、私自身のドローイングの手法や考え方を表現したいと思っていました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
すべてのコラボレーションに共通する課題ですが、自分らしい表現でありながらクライアントの要望も満たす─そのバランスを取ることが最大のチャレンジでした。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
ユニクロがこのデザインを再び採用してくれたことに、作品が評価されたという喜びを感じています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
ユニクロのTシャツのために描いた当時は「ドローイングを洗練された一連の所作として捉える」という考えに興味を持っていました。ただ、その所作が繰り返されていくと、次第に描線のオリジナリティが失われていく感覚もありました。最近では、日本の“ヘタウマ”というアートのムーブメントにインスパイアされながら、より無意識的に描くためのアプローチを模索しています。
ジェームス・ジャーヴィス
アーティスト/イラストレーター。1970年生まれ、ロンドン出身。作品はカートゥーン、立体作品、グラフィックデザイン、映像など多岐にわたる。ドローイング、哲学、スケートボードといったテーマを軸に制作活動中。
アーティスト/イラストレーター。1970年生まれ、ロンドン出身。作品はカートゥーン、立体作品、グラフィックデザイン、映像など多岐にわたる。ドローイング、哲学、スケートボードといったテーマを軸に制作活動中。
Esther Kim
進化し続けるディズニーが大好きQ. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーがこれまで守ってきた価値観やファンの気持ちを大切にしながら、常に進化し続けているところが本当に素晴らしいと思います。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
私なりのスタイルでミッキーマウスを描いてみたいと思いました。リラックスしていて、幸せそうな表情にしたかったんです。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
自分らしいタッチで描きながらもミッキーらしさを失わないようにするのは難しかった。でも、最終的にはすごく楽しく描けたので、その楽しさが伝わるとうれしいです。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
本当に光栄ですし、うれしい気持ちでいっぱいです。自分の作品がもう一度世界中の人に届くなんて、本当に感激しています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
いくつかの魅力的な商業プロジェクトに取り組みながら、個人的な絵画作品の制作も並行して行っています。
エスター・キム
アーティスト。韓国系アメリカ人としてアメリカ・ロサンゼルスに生まれ、10代を東京で過ごす。イラストレーション、デザイン、アートディレクションなど、ジャンルを横断しながら独自の世界観を築いている。
アーティスト。韓国系アメリカ人としてアメリカ・ロサンゼルスに生まれ、10代を東京で過ごす。イラストレーション、デザイン、アートディレクションなど、ジャンルを横断しながら独自の世界観を築いている。
Danny Sangra
絵画的な表現がドナルドダックには似合うQ. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
ディズニーのキャラクターは性格だけでなく、線の描き方や色使いまで、そのスタイルが文化の中に深く根付いていると感じます。常にハイクオリティな基準を持ち続けているところにも惹かれます。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
グラフィックというよりも、もっと絵画的で柔らかくて表情豊かなアプローチにしたいと考えていました。特にドナルドダックのようなキャラクターにはそうした表現が合うと思ったんです。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
キャラクターの本質を損なわないように、手を加えすぎないことがいちばん大事でした。それ以外は、純粋に楽しんで制作できたと思います。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
とてもうれしいですね。より多くの人たちにこの作品を見てもらえることが、何よりの喜びです。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
最近はイラストよりもディレクションに取り組むことが増えてきましたが、それと並行して新しいペインティングシリーズも始めました。ドローイングとペインティング、その両方があることで自分のバランスが保たれている気がします。
ダニー・サングラ
アーティスト、映像監督。イギリス出身。絵画、イラストレーション、タイポグラフィ、ミクストメディアなどを融合させた作品で知られる。バーバリーなどのファッション広告では独特の風刺的スタイルが評価されている。
アーティスト、映像監督。イギリス出身。絵画、イラストレーション、タイポグラフィ、ミクストメディアなどを融合させた作品で知られる。バーバリーなどのファッション広告では独特の風刺的スタイルが評価されている。
NUTS ART WORKS / Naoto Hinai
気負わずいつも通りに楽しみながらQ. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
特別な理由はありませんが、子どもと一緒にピクサー制作の『トイ・ストーリー4』を見ていた時に出てきたデューク・カブーン(カナダ出身のバイクスタントマンのおもちゃ)が好きですね。声がキアヌ・リーブスという点もポイント高いです。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
ディズニーもユニクロも知らない人がいないほど知名度の高いブランドですが、張り切り過ぎないようにいつもの感覚で取り組みました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
苦労せず、楽しみながら取り組めました。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
世界中と考えるとあらためてすごいことで、参加できて素直にうれしいですね。
Q. 現在の活動についても教えてください。
手描き看板の仕事はもちろん、パッケージデザインやロゴデザインなど幅広くお仕事させていただいています。
ナッツアートワークス / 比内直人
1996年にサインペインターとしてのキャリアをスタートし、東京を中心に数多くのショップサインやブランドのグラフィックを手がけてきた“手描き看板屋”。作品集の発売や国内外での個展の開催など精力的に活動している。
1996年にサインペインターとしてのキャリアをスタートし、東京を中心に数多くのショップサインやブランドのグラフィックを手がけてきた“手描き看板屋”。作品集の発売や国内外での個展の開催など精力的に活動している。
赤塚不二夫
ディズニーをこよなく愛し、生誕90周年漫画家・赤塚不二夫の長女で、赤塚が設立したフジオ・プロダクションの代表取締役社長を務める赤塚りえ子が答えてくれた。
Q. ディズニーや好きなディズニーキャラクターの魅力は?
作品名は忘れましたが、小さいときに母に連れられて、大きな映画館で最初に観た映画がディズニー作品だったと記憶しています。 赤塚マンガのキャラクターたちと一緒に育った私にとっても、特にミッキーマウスは小さいころからの身近な存在です。シンプルな色使いやラインで表現されたミッキーマウスは、これからも時代を超えて永遠に生き続ける愛らしいキャラクターだと思います。
Q. コラボレーション当時、どのような想いでデザインに取り組みましたか。
生前、父、赤塚不二夫は、日本のディズニーランドの年間パスを持ち、映画『ファンタジア』を絶賛していました。ディズニーをこよなく愛する父もきっと喜んでくれただろうデザインに、そして、ディズニーのキャラクターの可愛さと赤塚タッチ、2つの特徴をバランスよくミックスしたデザインにしたいと思いました。
Q. 当時、制作の際に特に苦労した点、またこだわったポイントは?
赤塚不二夫の特徴でもあるデフォルメタッチはディズニーキャラクターとの親和性が高く、当社スタッフによる作画作業は簡単かと思いましたが、実際は逆で、赤塚タッチをいかに反映させるかという点に苦心しました。
Q. 今回、当時のデザインが復刻され、再び世界中の人々のもとに届けられます。感想を聞かせてください。
私もとても気に入っているデザインなので、復刻されることはとてもうれしいですし、世界中で誰かが気に入って着てくださることを思うとワクワクします。 毎年夏の時期にイギリスに行くので、どこかの道でこのTシャツに出会えることを願っています。
Q. 現在の活動ついても教えてください。
2025年は赤塚不二夫が生誕90周年を迎える年なので、赤塚らしい賑やかなイベント開催に向けて現在準備を進めています。発表の時期が来ましたら赤塚不二夫公認サイト「これでいいのだ‼」でお知らせいたします。 あと、今年9月にディズニーの故郷アメリカで、「Art of MANGA」というマンガ展が、サンフランシスコにある「デ・ヤング美術館」で開催されます。この展覧会に赤塚不二夫も参加します。
あかつか・ふじお
漫画家。1935年生まれ。代表作に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』など。“ギャグ漫画の王様”とうたわれ、主要な作品はアニメ化も。2008年没。2025年に生誕90周年を迎える。
漫画家。1935年生まれ。代表作に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』など。“ギャグ漫画の王様”とうたわれ、主要な作品はアニメ化も。2008年没。2025年に生誕90周年を迎える。
手塚治虫
人生を変えた運命の出会いマンガ家・手塚治虫がディズニーから大きな影響を受けていたことは有名なお話。自らもディズニーのようなアニメーション映画を作りたいという思いからアニメ会社を設立、国産初の長編連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を生み出した。そんな手塚が「心の師」と仰いだのがディズニーの創業者ウォルト・ディズニー。ここでは手塚がウォルトについて描いたマンガや文章を収録した書籍『ウォルト・ディズニー物語』(現在は絶版)から一部を抜粋して紹介。
「ディズニーに惹かれ、魅せられ、ディズニーによって人生を決められてしまったひとりの男がここにいる。
小学校二年生のとき、ぼくはマンガ映画大会ではじめてミッキーマウスに対面した。そしてパテー・ベビーという古めかしい家庭用映写機を父が買ってきて、フィルムの何本かを揃えたとき、そのうちの一本は『ミッキーの突進列車』であった。その時点でディズニーは、すでにぼくとは切れぬ鎖でつながっていた。子ども心に、ディズニーはぼく達の味方だと思った。
子どもが大人に説明してもわかってもらえない子どもの世界のあるものを、ディズニーは知っていると思った。それは、ものわかりのよい教師に対して、生徒がこの先生は仲間だ! と感じるあの親近感である。おそらく世界中の子ども達が、同様の直感で彼をうけいれたにちがいない」
(朝日ジャーナル 1973年6月15日号 p.69)
「ディズニーに傾倒してからというものは、俄然、このぬいぐるみスタイルを必死になって模写し修得して、とうとういまの画風になってしまった。正直いって、ぼくの画風からは八方破れ的な冒険はのぞめない。丸まっちいかわいらしさに、がんじがらめになってしまっているのだ」
(朝日ジャーナル 1973年6月15日号 p.71)
「で、その本を買ってもらって夢中になって模写したのが、ぼくをマンガ家に志させるきっかけになった訳。だからぼくは黒眼だけのミッキーなら眼をつむっても描ける。ところでミッキーの二つの耳が、ミッキーがどんな向きに向いても絶対に重なって一つにならない、ということを知ったのはすこしあとである。
影響というのはおそろしいものだ。アトムの二つのとがった髪の毛は、アトムがどう向いても重なり合わない。つねに二本である。だからまあいうなれば、アトムはミッキーの血をかなり継いだ甥っ子みたいなものである」
(キネマ旬報 1988年11月下旬号p.94)
「ディズニーに遇(あ)ったのは彼の死の前々年の一九六四年である。遇(あ)ったとはいっても、ほんの1分足らずの立ち話だったのだが、あの機会がなければ私にとって生涯の心の師である彼は遂に雲の上の存在で終わってしまったであろう。白髪まじりで皺のきざまれた、いくぶん猫背になったこの老いたカリスマは、私の手を固く握ってくれた。
(中略)
私のディズニーへの思い入れは、私の絵を見ていただければ、それでもういまさら述べる必要もない。現在、私は『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』などの初期の長篇といくつかの短篇フィルムを研究資料として持っているが、四十年も昔の作品と知りつつこれを繰り返し映して眺め、彼の偉大さにため息をつくのである」
(爽135号 1981年12月1日発行p.88)
「かれ(ウォルト・ディズニー)は台上から五百人ほどの観衆に、あいさつをした。そのときの観衆の熱狂ぶりは、想像以上にたいへんなものだった。そして、かれのあいさつの一言一句に、耳を傾ける老人や、若者や、子どもや、幼児達の目ときたら! あのキラキラ輝いて、尊敬と、期待と、感謝とにあふれた何百の目!
(中略)
あのどの世代もが、ディズニーの主人公達を笑い、娯(たの)しみ、愛して暮らしてきたのだ」
(文藝春秋 1967年5月号 p.79)
「アニメーションとは『動画』という意味にとられているが、本来はアニミズム、つまり、生なきものを、生あるがごとくに見せる方法そのものをいうのである。
人間は、幼いときから死ぬまで、いろいろな夢をもっている。空をとびたいとか、変身してみたいとかの夢はだれもがいちどはもったことがあろう。それらのなかで、山や川やイスや机や、花や鳥やけもの達と話がしたい。かれらが人間のように動いたらどんなに娯(たの)しいだろうなどという夢も、きっと古今東西を通じて同じにちがいない。
ディズニーは本質的に、この夢の追求者だったと思うのだ」
(文藝春秋 1967年5月号 p.80〜81)
てづか・おさむ
マンガ家、アニメーション作家。1928年、大阪府生まれ。日本のマンガ、アニメの新しい概念を確立し、「マンガの神様」とも称される。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など、すべての作品に「生命の尊さ」というテーマが貫かれている。1989年没。
マンガ家、アニメーション作家。1928年、大阪府生まれ。日本のマンガ、アニメの新しい概念を確立し、「マンガの神様」とも称される。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など、すべての作品に「生命の尊さ」というテーマが貫かれている。1989年没。
商品の詳しい情報など満載のマジック フォー オール10周年特別サイトはこちら
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