プレスリリース

2006年04月04日

BACKSTAGE REPORT ユニクロ・クリエイティブアワード2006 ~「考える人」2006年春号~

賞金でスペインのサンティアゴ巡礼へ

ユニクロ・クリエイティブアワード2005大賞受賞者の冒険
内藤曜之介

消去法でたどりついた漫画家への道

20060404_1.jpg 絵を描いてゴハンを食べられる仕事がしたい、と思ってました。今から約十年前、十九歳で入ったのはコンピュータ・ゲームソフトの会社です。キャラクターがどんな姿をしていて、彼らが行動する空間はどんな光景か-仮想世界の設定をコンピュータで描き出す仕事でした。

 仕事をひと通り覚えるまでは面白かった。でも共同作業でしたから失敗してもチームの責任、成功すればチームの功績。良くも悪くも自分自身の評価は頭割りで薄められてしまう。コンピュータで絵を描くのもどこか物足りない。手描きで自分ひとりでできる仕事がしたくなって、あてもなく会社を辞めました。

 イラストレーターの仕事も考えましたけど、ひとつの世界観の下で人物がダイナミックに動いて行くようなトータルな物語を創り出すことはできない、と気づいた。そこで漫画を描いてみようと思ったんです。小学生の頃から漫画をむさぼり読んだような人が漫画家になるのが普通でしょうから、消去法でたどりついた僕は珍しいタイプかもしれません。漫画を意識して読むようになったのは会社に入ってからでした。二十歳過ぎです。いま僕を担当してくれている編集者には「君は漫画を読まなさすぎだ。もっと読みなさい」とよく言われるぐらいです。

 たしかに僕が小学生の頃に読んでいた漫画と、今世の中で読まれている漫画とは、だいぶ違うところがあります。漫画も時代の流れとともに変化する、ということですね。

 キャラクターの設定、コマ割りにもトレンドがあるらしい。たとえば一ページあたりのコマ数は昔に較べると減っているようです。手塚治虫さんのあたりから七〇年代までのコマ割りは一ページがたいてい四段に分割されて、それをさらに縦に三分割したものがスタンダードでした。つまり一ページは十二コマぐらいで構成されていたわけです。ところが今は三段が普通です。漫画によっては二段のものすらある。だから一ページが六コマから四コマまで減っています。較べてみるとだいぶ印象が違います。

 そんな世の中の流れに、自分の漫画がどこまで受け入れられるかは未知数ですけど、漫画はこれまでやってきた仕事のなかでいちばん性に合っているのは確かです。監督、キャスティング、脚本、カメラ、照明、大道具、小道具……全部自分で決められる。だからたとえ酷評されるような作品であっても、描き上がった直後は物凄い満足感があります。描いている最中は修行僧みたいですけど、描き終わった瞬間の喜びは脳内に大量の快楽物質が分泌されているんじゃないかと思うぐらい(笑)。先の読めない商売ですけど、漫画家を続けたいですね。

扁桃腺の手術でTシャツ・コンペと出会う

 僕は扁桃腺が弱かったので、疲れるとすぐ熱が出てしまうんですね。それは連載を持つ漫画家としては致命的な弱みだと感じて、手術をして扁桃腺をとることにしたんです。入院した時に着る服とスリッパを用意するんでユニクロに買い物に行きました。そうしたらレジ横にTシャツのデザイン・コンペのチラシが積んであった。一枚もらって帰って、これに漫画で応募しようって決めました。

 他の応募者はTシャツにワンポイント、ひとつの絵で攻めてくるだろうと考えて、僕はTシャツの全面をコマ割りにして漫画にしようと思ったんです。「親父越え」というテーマは、Tシャツが外国でも販売されると募集要項に書いてあったから、なんか現代日本のクールな家族関係じゃなく、それこそ「巨人の星」的な土臭い雰囲気の親子関係を彼らに見せたらインパクトがあるんじゃないかと思って(笑)。アイディアが決まったら下描きは数時間で出来て、一日で仕上げて応募しました。

 大賞を受賞するなんて考えてもいませんでした。入選作は十作品の枠があったので、まあ〝色物〟扱いで(笑)僕の漫画が入選する可能性はあるとは思ってましたけど……。大賞に選ばれて賞金と副賞あわせて三百万円相当をいただけることになったとき、二十歳ぐらいの頃から興味を持っていたキリスト教三大巡礼のひとつ、サンティアゴ巡礼をこの機会にやってみようと思いついたんです。サンティアゴ巡礼には若い人もたくさん集まってくるらしい。何が若い人を惹きつけるんだろう、そもそも一ヶ月以上をかけて八百キロ歩く道のりはどういう感じなんだろうと、それを自分自身で確かめてみたいと思ったんです。連載も終わっていたし、弱点だった扁桃腺の手術も済んだし、今ここで行かなかったら一生行けないという気持ちもありました。

強引に兄を引き込みました

 行程は一ヶ月以上。準備はいろいろありますが、まずは基礎体力作りです。ユニクロから資金をいただいているわけですから、「体調を崩したんで途中で止めました」なんて言えないし、とにかく鍛えに鍛えた。毎週末、兄貴と二人で二十キロ、三十キロと歩きました。ピレネー山脈を越えるのがしんどいと聞いていたので、その前哨戦として富士登山にも挑戦しました。兄貴はスポーツマンでしたけど僕はひ弱だから「死んでも歩き通す」という気持ちでトレーニングを続けました。そうしたら、ぐんぐん筋肉もついていった。

 六つ年上の兄貴はトレーニングのパートナーというのではなくて、一緒に行く同伴者だったんです。巡礼を一人でやるつもりは最初からありませんでした。巡礼を誰かと一緒に経験する、というイメージが僕にあったからです。強引に兄を引き込みました。二人とも独身だし、兄弟ふたりで歩き通すというのは今でなければできないことなんじゃないか、と思って。グラフィック・デザイナーの兄は会社勤めですから、最初は「休めても二週間が限度だから、途中までだぞ」と言われてたんです。でも理解のある会社だったようで長い休暇の許可も出て、最後まで一緒に歩くことが可能になりました。

フランス人と南米系ではまったくタイプが違う

 四十日間の予定を立てましたけど、実際に歩き通したら約一ヶ月でした。語るべきことはもうありすぎるぐらいあります。とにかく巡礼に行ってよかったのは、仲間の存在です。それまで僕は神経が細いところがあって、誰かと会う約束があるだけで胃が痛くなるタイプだったのに、この一ヶ月で仲間の素晴らしさを知りました。道中の仲間とのやりとりが今も忘れられません。

 同じ日にスタートした人たちは途中でリタイアする人もいれば、ぐんぐんスピードアップして先へ急ぐ人もいますけど、そのうちに顔見知りの同じメンバーに落ち着いていきます。僕はまったく語学が駄目でしたけど、巡礼という仲間意識があるし、僕が絵を描けるから、絵入りの筆談で通じる。

 日本人はあまりいません。大きく分けると、フランス人と南米系が多いですね。南米の人たちは休憩中や宿泊先ですぐに音楽になるんですよ。歌ったりギターを弾いたりして。情に厚い感じでね。歩きながら話すのが好きだし、二、三人だったグループがすぐに大所帯になってしまう。そんな彼らのノリと波長が合わないのはフランス人なんです。なんかストイック。黙して語らずタイプが多い。一人だったりもする。南米系の人たちが音楽で盛り上がったりすると「うるさい。静かにしてくれ」って言ってきたりする。お国柄ってあるなって思いましたね。

 男女の比率は半々ぐらいです。巡礼しているうちにカップルになってしまう人たちもいました。僕も内心「そういうことがあるかも」って期待してた部分がないわけじゃなかったんですが(笑)、残念ながら何もありませんでした。

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突然それが降りてきた

 巡礼のちょうど半ばの頃でした。日中は四十度ぐらいまで気温が上がるなかを、地平線に向かってひたすら歩いていたんです。毎日ほぼ同じ光景。歩いているうちにどんどん内省的な感じになっていく。途中で膝を壊してリタイアした仲間のことを想い出したり、僕が不調だったときのことを想い出したり。最初の一週間ぐらいは、現地の気温や湿度、夜の八時九時まで明るい感じ、土地の空気にからだが馴染んでいかなくて、体中に蕁麻疹が出たり足首がくるぶしも見えないぐらいに腫れたり、何をどうしても体が痛いという時期があったんです。でもその果てしない地平線に向かって歩いていたときはすっかりからだも慣れて、どこまでも歩いていけるという気分でした。そのうちに頭のなかはどんどん無の状態になっていった。たぶんウォーキングハイだったんだと思うんですが、突然、それが降りてきた。

 もう、ぶわーっとこみあげてきて、ただわけもわからず号泣してました。本当にうまく説明できないんですけど、歩いていること自体にからだ全体がふるえるように感動するというか、経験したことのない一体感に包まれたんですね。兄貴はそんなことはなかったみたいで、「どうしておまえ、泣いてんの?」って聞くけど答えられない。あの感覚は忘れられません。

 最後、サンティアゴに着くと、巡礼を終えた人のためのミサがサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂で行われます。大きな香炉が振り回されて、パイプオルガンからは壮大な音楽が鳴り響きます。頭から爪先まで全身が感覚器官になってしまったような瞬間。その荘厳な空間のなかに身を浸しながら、「ああ、この感覚、漫画で描けるだろうか」って思っていました。

 歩き通した経験は、漫画家としての引き出しを確実に増やしてくれたと思います。漫画家として自分の人生をまっとうしようという気持ちもますます強くなった。サンティアゴ巡礼から得た財産は、直接的にではなく、自分なりに消化したかたちで次の漫画に生かすつもりです。

 入院することになってユニクロに買い物に行かなかったら、サンティアゴ巡礼に行くこともありませんでした。人生はどこで何と出会うのかわからない。だけど、スペインで寄り道をしていた分だけ、財政的には赤ランプが点きそうなんです。これからなんとかしなきゃ(笑)。

※サンティアゴ巡礼から帰国してから、ユニクロへの報告も兼ねて書き上げた、漫画仕立ての「巡礼レポート」は下のイラストをクリックしてください。

uniqlo_logo.gif「ユニクロ・クリエイティブアワード」は、Tシャツを、”もっと自由に面白く”したいという思いからスタートしたコンペティション(公募)です。第1回となる昨年は、17740点の応募の中から選び抜かれた60作品がTシャツとして商品化され、販売されました。また、審査員として参加したアーティストたちの作品も、ユニクロとのコラボレーションTシャツとして販売されました。本年も、グラフィックやメッセージなどを自由に表現した平面作品を広く募集し、選ばれた作品をTシャツとして商品化、4月中旬より順次発売予定です(本年の応募受付は終了いたしました)。

「考える人」2006年春号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:菅野健児、内藤曜ノ介)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。