プレスリリース

2004年01月06日

SHOW YOUR COLORS 竹田恆和 ~「考える人」2004年冬号〜

~「考える人」2004年冬号(新潮社)より転載~
SHOW YOUR COLORS.

竹田恆和(Takeda Tsunekazu)

(財)日本オリンピック委員会会長

1964年10月10日、東京オリンピックの記憶

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東京オリンピックは高校二年生のときです。馬術は幼い頃から始めていましたから、小学校の作文にも「将来の夢はオリンピック」と書いていました。

オリンピックの開会式には家族で行ったんです。快晴の国立競技場で、いちばん最後に登場した日本代表選手団の、赤のジャケット、白のズボンが非常にまぶしく見えました。今でも鮮やかに覚えています。将来は自分も同じように歩いてみたいと思いました。
昔、皇居の中に「パレス乗馬クラブ」というのがありました。小学校のクラスメートがそこのメンバーで通っていたものですから、私も動物が大好きでスポーツも得意な方だったし、一緒に連れてってよ、と馬術を始めたわけです。始めてみたら、馬術というのは非常に奥の深いスポーツで、どんどん引き込まれていきました。それからはずっと馬術を続けて、馬に乗ることが毎日の生活の中心になっていきました。

馬は嫌なときには怒ったり怖がったりします。性格も百頭いれば百頭みんな違います。運動神経も記憶力も全部違う。言葉が使えない赤ん坊と同じですから、馬が身体全体で訴えていることを、こちらで敏感に感じ取らなければいけません。そのコミュニケーションがうまくいけば、馬はしだいに人間を信頼するようになります。

障害競技では高いバーを飛び越えますが、普通だったら馬はあんなに高いものを飛び越えるわけがないんです。馬場にバーが一本転がっていても、それをまたぐのすら怖がるのが本来の馬ですから。人間を信頼しているからこそ、大胆に飛べるんです。

乗っている人間がちょっとでも不安になれば馬にもそれが伝わって、不安を感じます。初めて乗った人が上手か下手かも馬は一瞬で判断します。人間も上手くなれば、馬にまたがるだけで「この馬はこういう性格で、こういう癖がある」とわかります。人馬一体というのは本当に言葉通りの意味なんです。

初めてのユニフォームと忘れられない出来事

東京オリンピックから八年後のミュンヘンオリンピックで初めて馬術の日本代表選手に選ばれました。もちろん「人馬一体」ですから、長い年月をかけて自分で調教してきた馬を一緒に連れて行くんです。私が国際大会に出場するようになった頃から、馬を飛行機で運ぶようになりましたが、それ以前は船で運んでいました。現地で自分の馬と合流してからは、ドイツを拠点にヨーロッパ中の大会を転戦しました。

そのうちに、採寸しておいたオリンピックのユニフォームがドイツに届きました。やはり東京オリンピックと同じ赤のジャケットに白のズボン。さっそく着てみたんですが、その時に初めて、自分がこれまでにやってきたことが、オリンピックという場で現実になるんだと実感できましたね。

七二年のミュンヘン大会の入場行進は、まだ整然とした、一糸乱れぬ感じのものでした。一丸となったまとまりを見せるのが世界でもまだ主流だったように思います。日本の選手団も開会式の前に歩調をぴったり合わせるように行進の練習をしていました。競技場は厳正で神聖な場所という雰囲気です。選手はもちろん観客も固唾を呑んで見守っていたような気がします。

開会式の本番になって、赤と白のユニフォームを着て行進していると、高校生だった頃に見ていた東京オリンピックの、日本の選手団の姿とか、活躍した選手とか、そういう記憶が自分のなかに複雑に重なってきて、やはり感動を覚えました。

この初めてのオリンピックでは、忘れられない出来事がもうひとつありました。開会式から十日後の九月五日に、選手村にパレスチナ・ゲリラが侵入して、イスラエル選手宿舎で役員を射殺し、選手を人質に獄中のゲリラの解放を要求したのです。用意させた脱出機に搭乗するため、ヘリコプターで移動しようとした直後、銃撃戦になり、イスラエル選手全員が死亡するという悲惨な事件でした。私はこれでオリンピックは途中で中止になるだろうと思いました。

ところが当時のIOCのブランデージ会長は「われわれスポーツマンはテロに屈してはいけない。テロに対しては強く立ち向かい、明日からオリンピックは再開する。」と決定したんです。

国際的なテロというのは、あのあたりから増えていったのではないかと思います。政治とオリンピックは本来は切り離すべきものですが、それでもオリンピック一〇七年の歴史をふり返ると、オリンピックの存続自体が危ぶまれるような問題がしばしば起こっています。スポーツの場であっても政治の動きとは無縁ではなかなかいられません。ですから、今回、近代オリンピックの発祥の地であるアテネに戻るということは、大変意義のあることだと思います。もう一回オリンピックの原点に戻って、オリンピックの理念をみんなで考え直す良い契機になるのではないでしょうか。

モントリオール大会で感じたこと

20040106_2.jpg次に参加したモントリオール大会の開会式は、少し雰囲気が変わったんです。神聖なオリンピックというよりも、選手たちひとりひとりが、これからの競技で頑張るんだという、ごく自然な主張がにじみ出るものになってきた、と感じました。それも笑顔でフレンドリーに感じさせる自己主張です。全体にどこか温かい雰囲気なんですね。

しかし、われわれ日本選手団は、その時もオイッチニ、オイッチニ、でミュンヘン大会と同じです。整然と一糸乱れず生真面目に行進していました(笑)。

そんな感じでやっていたのは日本ぐらいだったんじゃないかと思いますね。私も行進しながら何か違うなあと思っていました。

オリンピック選手というのは、全員鍛えに鍛えてやってきた人ばかりです。それぞれ個性が強い人たちがいるわけです。それを統一して抑え込むのではなくて、全体の統一感のなかにも個性が光るような雰囲気をその頃の自分も求め始めていたような気がするんですね。
ミュンヘン大会と違って、自分も初めての怖さとか緊張感がなかったですから、そんな感想を持つ余裕があったのかもしれません。もちろん、強烈な自己主張をせずに整然と揃って歩くというのが悪いわけじゃありません。それが自然にできれば日本の良き伝統として世界に誇ってもいいと思います。しかし、かたくなに形だけを守ろうとするのは、若い選手の意識とギャップが出てくる時代になったのかもしれません。

個性と制服が融合する新しいユニフォーム

赤と白のユニフォームという日本選手団のスタイルは、東京オリンピックの後も、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、ロサンゼルス、ソウルと続きました。この「日の丸カラー」が前提ではなくなったのは、一九九二年のバルセロナ大会からですね。バルセロナでは上下が白になり、アトランタはエンジにグレー。シドニーではマントを着ました。
来年のアテネ大会のユニフォームは、「SHOW YOUR COLORS」というコンセプトを打ち出しています。「個性」と「制服」を両立させた新しい考え方のもとに、(株)ファーストリテイリング(ユニクロ)が制作し無償提供してくださることになりました。デザイナーは髙田賢三さんにお願いし、選考委員会をつくって、オリンピック参加経験者にも意見を聞きながらまとめていく作業に入っています。

「SHOW YOUR COLORS」というのは、「あなたらしさを、思う存分発揮してください」という意味なんです。皆さんもお気づきだと思いますが、最近のオリンピック選手は元気ですし、個性を押し隠すような考え方やスタイルから自由になってきたと思います。おとなしい日本人だったのが、だいぶ自由闊達に変化してきました。だから、もし開会式の入場行進で昔のように一糸乱れぬ行進を強制したら、たぶん個性をつぶされた元気のない集団に見えてしまうのではないでしょうか。

試合場には自分しかいないのです。チームプレーもありますが、やはり突き詰めていけば自分がどうやって活躍できるかにかかってくる。自分を全部そこで出し切らないといけないわけです。

昔の選手だってひとりひとりは実に個性的でした。当時は、一糸乱れぬ行進をすることが、選手が元気であることの表現だったとも言えるのです。そして赤と白のユニフォームが、当時の選手を最高の気分にさせていたのだと思いますね。

そういう意味では、アテネ大会のユニフォームも、選手が最高の気分で着られるものを作るために、私どもも協力させていただいて、これまでにない新しいものをめざしたいと思うのです。やはり、選手あってのJOCですからね。選手の上にドンと座るのではなくて、選手のためのJOCにしていかなければいけない。開かれたJOCが求められていると感じています。今回のユニフォームの「SHOW YOUR COLORS」というコンセプトは、そういった全体の変化を象徴するものになればいいと考えています。

馬から教わったことが人生の財産になっている

私は生きる上で、馬から教えてもらったことが大変な財産になっています。相手が何を考えているのか、相手の立場を思いやり、言葉にならない訴えをどう理解するか-人間も馬もそれほど大きな違いはないんです。そして相手の訴えを感受するのと同時に、俊敏性も必要です。馬術には一瞬の判断で次の動作を馬に指示しなければいけない場面があります。身体で感じて、次に頭で考えて、という順番では遅すぎる。テンポがひとつ遅れるだけで馬を混乱に陥らせてしまいますからね。馬の世界は本当に深い。

毎日馬に乗る生活からは離れてしまいましたが、その時の感覚は大事なものとして保ち続けたいと思っています。

今はJOCの仕事で海外に出かけることが多くなってきましたね。アテネ大会が近づいてくるにしたがって、さらに慌ただしい日々が続くと思います。

 最近感じるのは、アテネオリンピックに向かう雰囲気が、一九六四年の東京オリンピックとどこか共通しているものがある、ということです。

当時の東京は、これから日本が大きく変わり、日本が伸びていく時代でした。現在の日本は長い不況から徐々に抜け出して、新しい日本の活力を期待する気配が満ちてきたように感じます。そういう時代の転換期にはその未来を担う子どもや若者に夢や感動や希望を与えることが必要です。東京オリンピックはその役割を充分に果たしました。
アテネオリンピックでも日本選手が見せる最高のパフォーマンスが、今の日本人の心に直接訴えかけるものがあるはずです。そのことをぜひ期待したい。

アテネオリンピックが、新しいユニフォームと選手の活躍によって、のちのちまで記憶されるような大会になるように私たちも頑張りたいと思っています。

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Takeda Tsunekazu
1947年東京生まれ。72年の第20回オリンピック競技大会(ミュンヘン)で馬術障害飛越に出場。76年の第21回オリンピック競技大会(モントリオール)も引き続き馬術障害飛越に出場し、その後は馬術チームのコーチ、監督を歴任する。第19回オリンピック冬季競技大会(ソルトレークシティー)では日本代表選手団団長を務めた。01年10月から日本オリンピック委員会の第四代会長に就任。国際馬術連盟の名誉副会長でもある。

ユニクロは2002年2月ソルトレークシティーで開催された第19回オリンピック冬季競技大会に引き続き、第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)における日本代表選手団公式服装を制作・無償提供いたします。髙田賢三氏による公式服装のデザイン発表は、2004年の初夏を予定しています。

「考える人」2004年冬号

(文/取材:新潮社編集部、撮影:広瀬達郎)

詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい