プレスリリース

2004年10月05日

BACKSTAGE REPORT ユニクロプラス心斎橋筋店 オープンの舞台裏(前編) ~「考える人」2004年秋号〜

~「考える人」2004年秋号(新潮社)より転載~

「日本のファッションビジネスがなんで世界に出てこないんだろう」

北村文人

Kitamura Fumito ユニクロレイアウト・チーム

バーニーズは最先端でお洒落、ユニクロは……?

20041004_1.jpg 二十歳の大学生の頃、ニューヨークを旅行した時、バーニーズ・ニューヨークにもの凄く感動したんです。もう何から何まで日本のデパートとは比べものにならないぐらい格好が良くて。ちょうど「父の日」のシーズンでした。ショーウィンドウのなかには、アイロンが山積みになった部屋があって、くたびれたスーツを着ている父親と、ファクスから溢れ出すいっぱいの紙にうんざりしている母親。そこにこんなコピーがあった。「パパになるのは簡単だけど、本当のお父さんになるのは大変だよね」。デザインを勉強していた自分が、この世界でやっていこうと心に決めた瞬間でした。
 大学を卒業する時、ちょうど横浜のバーニーズ・ニューヨークのオープン直後で、天職だと思って入社したんですが、担当したのは洋服の販売や買い付け。仕事はそれなりに面白いものの、ディスプレイの仕事はできません。だんだんニューヨークのバーニーズでなければという気持ちがふつふつと湧いてきた(笑)。働きながらTOEFLを受けて、ニューヨークのFIT(ファッション工科大学)を目指すことにしたんです。カルヴァン・クラインとか有名デザイナーを輩出した大学で本格的に勉強して、デザイナーになろう──そう心に決めました。
 無事合格して会社を辞め、ニューヨークでの暮らしが始まりました。選択したのはディスプレイ・デザインとインテリア・デザインのコースです。教授も老舗のブルーミングデールズでディスプレイを担当した人で、極めて実践的でした。勉強しながら実践もしたかったので、小さなセレクト・ショップに自分を売り込んで、ディスプレイの仕事をやらせてもらったりもしました。
 そんな仕事を写真に撮って、ファイルしたポートフォリオがそれなりの重さになってきた頃、バーニーズに押しかけたんです。ディスプレイ担当のクリエイティブ・ディレクターに何とかとりついでもらい「会ってください」と申し込みました。つながるまで何十回も電話しましたよ。とにかく必死でしたから。
 彼の名前はサイモン・ドゥーナン。ロンドンの老舗アクアスキュータムで斬新なディスプレイをして世界的に注目された人です。ロサンゼルスのファッション専門店マックスフィールドが惚れ込んで彼を引き抜いた。それからは「ビバリーヒルズ・コップ」のセット・デザインとか、メトロポリタン美術館のファッション館の展示デザインとか、あちこちに引っ張りだこになった。八五年にはバーニーズに引き抜かれて、今のバーニーズのスタイルを築き上げたわけです。九九年にはアメリカのファッション界で最も権威のあるファッション・アワードの特別賞も受賞した。同じ年に国際デザイナー大賞をとったのが日本人デザイナーのヨウジ・ヤマモト。僕が二十歳の時に感動したバーニーズのディスプレイは彼、サイモン・ドゥーナンの仕事だったわけです。
 尊敬する彼との面接はもうほんとに無我夢中で緊張の連続だったんですけど、質問してくることは「どういうところに遊びにいくの」「どんな音楽が好き?」「どこでご飯食べてんのよ」「最近映画は何見た?」みたいなことばっかりで、僕の仕事については何も聞いてこない。真面目にインタビューしてくれてないんじゃないかって、本気で心配しました。今思えば、僕自身のライフスタイルやセンスを探っていたとわかるんですけど、何しろその時は「いかに自分の仕事をアピールするか」って前のめりになっていたので、拍子抜けするというか「のれんに腕押し」っていう感じで……(笑)。
 面接の最後に「じゃあ、明日から来る?」っていうことになって、もう本当に、全身の力が抜けたのを覚えています。
 クリエイティブ・ディレクターはショーウィンドウはもちろん、店内のディスプレイ、什器にいたるまで、店のビジュアル全般を担当します。会議を開いて相談するということはありません。週に一回「ウォークスルー」という集まりがあるだけです。メンズは火曜日、ウィメンズが水曜日、と決まった日の朝七時半に、オーナーや社長、ファッションディレクター、バイヤー、それに僕たちクリエイティブ担当が十人ぐらい集まって、開店前の店内を歩いて売り場を見ながら、デザインや什器の変更や今後の提案の具体的な相談をするんです。ウォークスルーでの打ち合わせを踏まえた上で、僕たちが新しいシーズンのディスプレイを考えるんですが、アイディアがまとまっても関係者にプレゼンテーションをする必要もないんです。僕らにすべての権限があって、まあ「勝手にやる」わけです(笑)。結果については、毎週のウォークスルーでチェックされて、修正する場合ももちろんあります。
 バーニーズに三年いるうちに、日本のファッション・ビジネスがなんで世界に出てこないんだろう、という疑問や不満が大きくなってきたんですね。もちろん、ヨウジ・ヤマモトとかイッセイ・ミヤケのような例外もありますが、実力に比べて、世界のファッション界での存在感というか、役割のようなものを持ち得ないでいるのはどうしてだろうって考えるようになったんです。日本で自分にできることがあるんじゃないか。そんな欲求が高まってきたわけです。ユニクロとの出会いは、ちょうどそんなタイミングでした。  バーニーズとユニクロは両極にあって正反対の会社に入ったと思われるかもしれません。でも僕はそうは思っていません。バーニーズは最先端でお洒落で、というイメージがあるかもしれませんが、実はベーシックな部分がきちんと押えられています。上澄みの最先端だけでやっている店ではない。一方ユニクロの強みは、ベーシックをきちんと真面目に作っているところです。つまり世の中に受け入れられるかどうかは、ベーシックがちゃんとしているかという点なんです。その面ではバーニーズもユニクロもまったく同じ。だけどバーニーズは自分たちで商品は作らないでしょう? ユニクロは自分で作って自分で売っている。となれば、作るところまで自分でできたほうが面白いに決まってますよね?  これまでユニクロは、単品で一点一点しっかりとしたいいものを作って、倉庫型の店舗でヘルプ・ユアセルフ方式で売るやり方で成功しました。でもその一方で「ユニバレ」なんて言われ方がまだある。ユニクロで買ったものを着ているのがバレると恥かしいっていう意味ですけど、でもどこが恥かしいのかって考えると、実際の商品は品質も高いわけですから、どこがどう悪いのか、っていう話になってくるんですよ。  僕に言わせれば、こうやって着こなしたら格好いいじゃない、ってアイテムがユニクロにはごろごろあるわけです。バーニーズで売っているトップブランドのものと僕自身はまったく同じ感覚で着てますからね。その部分をお客様にもっと理解していただく余地はあるんじゃないか。納得して満足していただけるアプローチを、もうひとつプラスできるはず。それを考えて実現させるのが自分の仕事だ、と思ってるんです。

楽天的で明るい会社とアメリカの五〇年代

20041004_2.jpg 十月にオープンする大阪・心斎橋筋の大型店でも、倉庫型でヘルプ・ユアセルフというユニクロ店舗の基本をガラリと変えるつもりはありません。変えるのではなくて、今までのユニクロに何かをプラスしたい。それはセンスとか遊び心のようなもの、ですね。六百五十坪もある大型店ですから、店舗デザイン面でもプラスアルファーの新しさを充分に発揮できるはずと考えました。
 設計は「ローテク」といういま世界的に注目されている設計事務所に依頼しました。彼らは石油タンクやコンテナを使った斬新な住宅を発表して脚光を浴びた、イタリア出身の建築家ユニットです。ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館、グッゲンハイム美術館と続々と展覧会が開かれて話題をさらいました。今もっとも人気のある建築家と言っていいと思います。
 彼らとはニューヨークで何度も打ち合わせをしました。彼らも大阪までやって来て熱心にリサーチをした結果、最初はかなり過激なプランを提案してきたんですよ、大阪の土地柄を拡大解釈したような(笑)。だけどユニクロのこれまでのやり方は全面的に変えたくはなかったし、大阪のお客さんだってベーシック・カジュアルを求めて来てくださるわけですから目立てばいいってもんでもない。こちらも言いたいことははっきり言って、議論が白熱することも数知れずでした(笑)。ただ、最終的な着地点が見えた今、やっぱり彼らに依頼しなければ実現できなかったプロジェクトだったと思いますね。いい店舗になる確信があります。
 心斎橋筋店が新しいのは店舗デザインだけではありません。オリジナルのマネキンも登場しますし、お客様から相談を受ければコーディネートのヒントをお伝えできる商品知識の豊富な店員も心斎橋筋店には必要です。単なる作業員ではなくて、お客さんと一緒に洋服を楽しめる人。ここでしか手に入らないプレミアム商品も用意しました。これはデザイン研究室が本腰を入れて作った自信作です。什器もオリジナル・デザインです。
 日本の大きな会社って、なんかネガティブな空気が漂っていて「先行きどうなるんだろう」っていう雰囲気が満ちてるのかなって思ってたら、ユニクロの人々は基本的に楽天的で明るい(笑)。考えてみれば、ユニクロの服って、アメリカの五〇年代に成立したアイヴィーとかトラッド、アメリカン・カジュアル的なものがベースになっていますよね。アメリカのフィフティーズにはまだ「未来は明るい」という雰囲気があったんだと思うんです、いろんな出来事があったにせよ。あの頃のシアーズのカタログとか雑誌の「LIFE」とか眺めてみても、あるいは映画を見ても、楽しそうな顔がいっぱい出て来るわけです。だからといって、そのまんま「アメリカン・グラフィティ」みたいなことを今やっても意味がない。ユニクロの服にあるべーシックというものと、五〇年代にアメリカにあった洋服を楽しむという姿勢を、たった今の日本でどうやって表現するか。これが僕がユニクロについてトータルに考えていることの中心にあります。
 心斎橋筋店に来ていただいて、「ユニクロって、なんか次のステージにステップアップしたんじゃない?」っていうような感想を持ってもらえたら……それこそ、本望ですね。

Kitamura Fumito

日本大学芸術学部卒業。横浜のバーニーズ・ニューヨークに入社。その後、アメリカ、ニューヨークのFIT(ファッション工科大学)で学び、バーニーズ・ニューヨーク本店に入社。クリエイティブ・ディレクター、サイモン・ドゥーナンのもとでショーウィンドウのディスプレイなどを手掛ける。帰国後、ユニクロでVMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング)の仕事をスタートした。

ユニクロプラス心斎橋筋店店長が語る

20041004_3.jpg 心斎橋筋店の店長は社内公募でした。大規模店舗であっても、そうでなくてもやるべきことの共通点は多いんです。だから大きいから手を挙げたというよりは、ユニクロにとって新しいステージになる仕事だとわかったので、どうしてもやりたかったんです。  店のヘルプ・ユアセルフのスタイルは基本的に変わりません。ですが、お客様が着こなしについての質問をどんどんしていただけるような販売員の育成が大きなポイントです。サービスの質は、接客業のなかでユニクロが最高だと言われることを目指しています。  心斎橋筋店だけで売り出すプレミアム商品はどんどんアピールしたいですね。ユニクロが新しくなったね、と感じていただきたい。ここから全国に波及するような動きを引き出したいと考えています。
 従来のユニクロにプラスアルファーの要素が強烈に詰まっています。ご来店を心よりお待ちしております。

後編へ続く)

「考える人」2004年秋号
(文/取材:新潮社編集部、撮影:広瀬達郎、菅野健児)
詳しくは、新潮社のホームページをご覧下さい。